邦画は、人の心に焦点を当てたものが比較的多いと思う。
その中で、苦しんでいる人は、貧困、病気、障害、アウトロー、、
みんな権威とか、世間で良いとされているものから外れている人たちだと思う。
仕事の出来不出来とか、考え方とか、ロジックとか、勝ち負けとか、
成功物語、成長ストーリーとか、そういうのじゃない。
そういうビシバシかっこいいヒーローや、大統領や、ビジネスマンが
活躍して、どうやったら成功するか、勝てるか、
目標達成後のかっこいい姿をどれだけ描いて煽れるか、
というのは、洋画、ハリウッドの焦点だ。
これは、日米両国のカルチャーの違いを本当によく表していると思う。
それぞれの人々の関心は主にどこにあるのか。
人間関係、とくにメインストリームを外れた人の苦しみと、
勝ち負け、とくに経済学にどうやったら成功できるか。
日本の良いところは、豊かな食料があって平和だけど、
その秩序をもたらしているのは強力な中央集権的価値観強制で、
そこから外れたマイノリティ達の苦しみの上にマジョリティの幸せが成り立っているということ。
アメリカの良いところは、色んな人がいて自由で色んな価値観を許されているけど、
過当な競争や、強者に勝てない理不尽な競争が大きすぎて、
経済的な敗者が多く苦しんでいるということ。
そんな特徴がやっぱりあるんじゃないかな。
完璧な社会なんてない。
完璧な統治なんてない。
でも、もう少しいいとこ取りというか、バランスをとれないものだろうか。
日本は、「上の人」が、豪華な家とか美味しい食べ物とか良い学校とか旅行とか、
過剰な幸せ(それは本当は幸せではない)を求める醜い人生をおくる一方、
その社会システムの犠牲になっているマイノリティを放置しすぎではないか。
そのひとの資質のせいにしすぎではないのか。
人は生まれた環境を選べない。
努力は重要だけど、生まれた劣悪な環境は、本当に努力だけで覆せるのだろうか。
成功した人は、それが全部自分の努力の結果だという傲慢に陥ってはいないだろうか。
本当に本当にこれでいいのだろうか。
邦画を見終わった後は、人間関係を大事にしたくなる。
洋画を見終わった後は、仕事に打ち込みたくなる。
いいとこ取り出来るようになりたい。