最近、何が良いことで何が悪いことなのか、よくわからない。
仕事をめちゃくちゃ頑張って企業を成長させることが「良いこと」だと思って
力を注いだりしたけど、ストイックに頑張りすぎて心身に不調をきたしたり、
家族をないがしろにしたら「悪いこと」だと思うし、
社会に求められている商品やサービスを提供して成長するのではなく、
権力闘争や、投資テクニックでの儲け競争も、「良いこと」だとはあまり思えない。
お金がたくさんあることや、異性にモテること、
頭の回転が速いことも、どれも「良いこと」かわからない。
東京に不動産を所有していて、そこからの賃料収入だけで暮らせる人がいる。
いわゆる「一生遊んで暮らせる」状態。誰もがそれを羨むが、
はたして本人は幸せだろうか。
その状態で、仕事を頑張る気を起こすのは、難しいのかもしれない。
そうすると、ニートで孤独に日々を過ごすことになる。
その人生が幸せだとは到底思えない。
異性にルックスでモテまくる人がいる。
それは、恋愛が成就する機会が多いかもしれない。
けれども、その人が勉強や仕事を頑張ることは難しいのかもしれない。
なぜなら、満足してしまうからだ。
特に若くてルックスの良い女性は、何にもしなくてもたくさんの男がむらがり、
お金にも生活にも恋愛にも困らないから、中身がボロボロになる。
最終的にソープに沈むか、そこまでいかなくても我儘さが残っただけの
独身おばさんになり、その後は辛い人生を歩む。
頭の回転がはやい、想像力が豊かである人も、辛い。
とてつもなく辛い想像をしたり、考えすぎてしまうからだ。
知恵の実を食べた罰を、存分に受ける人だ。
動物は自然だから、そういう悩みはない。
人間は知恵があるから、「文明」は「発達」したけど、
動物より幸せだとは、「良い」生き物だとは、全然思えない。
ただ、考えすぎをコントロールする知恵とか、
その知恵で唯一宇宙を認識できる存在であるとか、
幸せを握っているのも知恵であると言える。
さて善悪。
言い直すと、何が「良いこと」なのかは、上記例からよく分からない。
でも、「悪いこと」は比較的ハッキリしていると思う。
人を殺すことは悪いことだ。
仕事をしすぎたり、性におぼれすぎたり、お酒や薬を飲みすぎたりするのは、
悪いことだろう。考えすぎもそう。
つまり、結局「やりすぎ」は悪であるので、
「中庸」が善ということなのか。
結局、人生は、幸せは、バランスにある、と。
善悪は、モノサシの当て方による。
戦争においては、人をたくさん殺した方が「良い」のだ。
価値尺度の話なのだ。善悪とは。ただそれだけ。
ただ、人間が幸せになる価値尺度は、
どうやらひとつのモノサシで数値の高低を測るものではなく、
色んなベクトルに対して中庸であることなのかもしれない。
そして、善悪が価値尺度によるということは、
人には常に善悪が同居しているということ。
とても仕事を頑張っているときは、そのほかの機会や体力を犠牲にしているということ。
財産があるということは、それを失う恐怖や、怠惰をまねく恐れがあるということ。
満足できないということは、満足に向かって考え、行動する力をもてるということ。
良い状態のときは悪い状態に向かう可能性が大いにあるし、
悪い状態のときは良い状態に向かう可能性が大いにある。
全ては表裏。
全ては同居。
幸せのカギは中庸。