「AIの知能が人間を超える日は近い!」
なんていう記事を見ると、それこそ投機的にAIに投資している投資家かと思う。
本気で言ってるなら、バカだと思う。
「超える」って、どういう意味なんでしょうか。
計算能力で言えば、エクセルぐらいで十分人間を超えています。
物理的なパワーやスピードにしても、機会やロボットは既に人間を超えています。
「考え方」が人間を超越したら、それはもう人間ではないから、何の意味があるのか。
そう、「超える」の意味も良く分からないし、「超えた」ところで一体、
人間にこれ以上何のメリットがあるというのか。
「AIが発達して人間の仕事の50%が奪われる!」
と言っている人も多い。これも考えが足りない。
AIが発達していない現在だって、仕事してない無駄な人材は会社に山ほどいます。
でも、現代社会(特に日本)はそういう人を排除しない。できない。
ベーシックインカムにしてみんな労働から自由になろう、とはならない。
なぜか。
それは、人間は何百万年ずっと労働して生きてきたから、
労働をしないと気が狂うようにできているからだと思います。
労働をしないということができない。
労働することしかできない。
労働しないと生きがいを感じられない。
そういう生き物なのだ。とりあえず今は。
これから徐々に変化(進化)していくかもしれないけれど、
その変化は相当な時間を要するだろう。何十年、何百年、何千年か。
ベーシックインカムで労働から解放されたら、
例えばスポーツとか、ゲームとか、芸術とか、
労働に代替するようなキーネーシスや、エネルゲイアがあれば
生きがいを感じれるかもしれないが、
労働ゼロでそれに順応するには、やはり時間がかかるだろう。
そういうわけで、AI云々ではなく、すでに人間は食べるための労働からは
解放されているのだが、解放されて労働がゼロになったところで、
まったく幸せではない、という、なんとも皮肉な時代にいるのだ。
みんな仕事なく、毎日自由で暇でフラフラしていたら、
恐ろしい社会になるだろう。容易に想像がつく。
だから形の上でも、なるべく仕事に就いているのだ。
でも、実質的に意味ある仕事なんてもはやほとんどないから、
所謂ホワイトカラーは無駄にストイックにはしり、
資源・権力の奪い合いに力を注ぐという虚しい争いをしているのだ。
それが現代ビジネスの姿だ。
そんなのは虚しくて、無駄なことだってのは、みんなわかってる。
でも、そうせずにはいられないのだ。
なぜなら、何もしないのはそれ以上に恐ろしいことだから。
だから、AIが発達したところで、それに仕事をまかせて人間がフリーになるということは、
ありえない。