日本版スチュワードシップコードには、
「中長期的な投資リターンの拡大を図る責任」
と書いてある。
どうして短期的な投資リターンの拡大を図ってはいけないのか?
ブルドックの高裁判決でも、
「専ら短中期的に対象会社の株式を対象会社自身や
第三者に転売することで売却益を獲得しようと」
する可能性があるので、投資家をグリーンメーラー(=悪)だと認定した。
短中期的に売却益を求めることは悪いことなのか?
なんかここだと思う。
日本の保守・司法・当局、体制側とビジネスサイドの認識が最も違うところ。
資本主義的・アメリカ的考え方と日本的考え方が最も敵対するところ。
ガバナンスや資本市場やらの色々な問題の根本は、結局この点に集約されていると思う。
短期利益の獲得を否定するということは、
今この株が安いと思うから買って、明日値上がりしたら売って儲ける、
という投資家を否定しているということだ。
そういう日々の売買を否定するということ。
つまり、突き詰めれば株式の流動性を否定すること。
それは、広く、余剰資金を集めて、投資家にEXITの機会を与えて、
もって株式会社のビジネスを発展させるという制度自体を否定することになる。
そういうことなんでしょうか??
そろそろ資本主義とか株式会社とかをやめましょうということなんでしょうか?
それは一理あります。私もそれなら賛成できる。
でも、そうじゃなくて、中長期の利益追求は善で、短期の利益追求は悪という
のであれば、何を根拠にそう言っているのでしょうか。
そもそも、短期利益の追求って何でしょうか。
最も合理的とされているDCF法の考え方では、
現在から将来にいたるキャッシュフローをぜんぶ足して、それを割引率で割り引いて
価値を計算するわけですから、短期も長期も包含しているわけです。
中期も長期も含めて将来的に利益が大きくなると見込まれれば、
それは今現在の価値として反映されて、結果的に「短期的な」利益を得ることになる。
逆に、中長期でダメだこりゃと思われたら、「短期的」にも株価は下がって、
リターンは得られないのでしょう。
そう考えると、中長期は良くて短期はダメって、意味不明というか、
論理的にまったく破たんしていると思いませんか?
でも何か、釈然としないというか、それだけでは足りない部分もあるとは感じる。
東芝のケースや、金融危機を起こした投資銀行の暴走が善だとはあまり思えない。
では、それらの問題はなんだったのか。「短期利益の追求」だったのか。
東芝は、嘘をついていた。情報を隠していた。投資家を欺いていた。
それで将来キャッシュフローを誤認させて、株価を維持したけど、
結局バレて暴落して会社自体も崩壊の危機にある。
つまり短期利益を追求云々ではなくて、情報開示に問題があるのだ。
投資銀行は、自らのBSで物凄くレバレッジをかけて、
リスクのある金融商品に物凄く投資して、
自分たちでバブルを作り出して、、、
まあなんか難しいことをして、「ギャンブル」をしたけど、
それに負けて、BSが巨額だからマーケットに物凄く影響がありました、
という話だろう。
そして問題は、そのギャンブルをした経営陣がたんまり報酬をもらっていることだ。
経営陣の報酬体系に問題があるということだ。
ものすごいリスクをとった。それがいい方向に結果が出たら莫大な報酬を手にして、
失敗してもリスクは限定されている、そこが問題なのだ。
本当は、期待リターンで報酬が決まらないといけない。理論的には。
だから、私はこう思う。
実際、どのように制度なりガバナンスを工夫すればいいのかは難しいが、
適切な情報開示と経営陣の報酬体系が非常に重要なのだと。
やはり、短期的な利益追求を悪とするのは、なんのこっちゃ、意味がわからない。