カウンター 忍者ブログ

もっちーのせかい

キーボードの音

東京から群馬までの出張時、湘南新宿ラインの隣の席で、
ずっとカタカタとパソコンのキーボードを叩いている若いビジネスマンがいて、
道中約二時間、ずっと迷惑で不快な思いをした。

また、爽やかな日曜の朝、カフェで読書をしていると、
これまた隣の席の男性が強い圧力でカタカタとパソコンのキーボードを
叩き始め、非常に不快な朝に変わった。そして私はその店を出た。

私が神経質過ぎるのだろうか。
ネットをみるとこういう騒音に対する声はやはり多いし、
私だけが神経質だということで片付ける問題でもない気がする。
少なくとも、私はこのキーボード騒音で不快な想いをする機会が最近多い。
どう対処すればいいのだろうか。
この問題の本質は何なのか。

考えてみると、この手の話は非常に奥が深い。

その人が、仕事でキーボードを叩いているのか、趣味なのか、
どのぐらい急ぎの仕事なのか、重要な仕事なのか、
そこは本質じゃあない。
こちらが不快に思う音を出していることが問題なのだ。
キーボードじゃなくたって、電話や会話の声だって、
舌打ちや歯ぎしりや貧乏ゆすりの音だって、
鼻をするる音だって、音楽だって、同じなのだ。
音は、人にけっこう影響を与える、リアルな空気の振動。
発信源の負の感情やエネルギーが、とてもよく伝わるものなんだと思う。

そう、今書いたけど、負の感情が発する音が騒音になるのだと思う。
騒音とは、負のエネルギー。
相手の事を考えてない、愛がない、攻撃的な音。
破壊のエネルギー。

そうではない音、自然な音や、相手を本当に想う音は、
騒音に感じることはないと思う。
昼間の必要な工事や道路の車の音。鳥やカエルの鳴き声。
幼稚園の園児たちの声。教会の鐘の音。
きれいな音楽、歌声。
普通に生活をする上で出る音、洗濯機や掃除機や日常会話の音。
くしゃみの音。夜の営みの音。これは仕方ないし、腹がたつこともないだろう。

不快に感じるのは、深夜に暴走する車の音、
休日に必要以上に出す工事の音、
深夜に近所から聞こえる馬鹿騒ぎや音楽、
罵声や、大きなため息や、愚痴。
そして電車やカフェのキーボード。
これは、隣人や社会への何らかの報復か、いやがらせかもしれない。
またはブラック企業や、おかしな親や、おかしな社会から受けた
理不尽や、ストレスをとにかく発散させているということかもしれない。
いずれにせよ、本人が受け止めて解消しきれない、負のエネルギーを、
周囲に発散させているということだ。
それをどこかで止めること、増幅しないことを、
赦しというのだろう。

この赦しが、不寛容を上回っていれば、
その社会はマクロ的には存続するけれども、
不寛容が赦しを上回ると、崩壊に向かう。
日本はいま、どの程度にあるのかわからないけれど、
赦しが時系列でみて減っているのは感じる。

そんな社会を、どうすればいいのか。
どうしようもない。個人にできることなんて、
自分になんて、今すぐなんて、ほとんど何もない。
そこで、まず、自分と隣人ということなんだろうな。

汝を愛するように、汝の隣人を愛せ。

まず自分。自分を犠牲にしたり、ないがしろにしたり、苦行を続けてもダメ。
なぜならそれでいっぱいいっぱいになって、負のエネルギーを周囲に発散したり、
周囲から受けた負のエネルギーを解消できなくなったら、本末転倒だから。
そして、自分の次が隣人。
国とか、グローバルとか、アフリカの難民とかではない。隣人だと。
まずは隣人の負のエネルギーを解消する。かわす。
余裕がないなら、受け止めてもしょうがないなら、逃げればいい。
電車の席を離れたり、降りたりすればいいだけの話なのだ。
カフェの席を離れたり、カフェを出ればいいだけの話なのだ。
その前にまず自分が負のエネルギーを周囲に発散させてないか考えて、
させちゃってるなと思ったら悔い改めればいいということだ。
自分が悔い改めた上で、隣人の騒音がどうしてもひどい場合は、
適切なやり方で相手に伝えればいい。
その伝え方が報復を含む攻撃的なものだった場合、問題は解決しないだろう。
適切な伝え方をしてもどうしても隣人がわかってくれない場合、
引っ越しをすればいいだろう。
そう考えると、近隣付き合いが希薄で、人が流動的な都市で家を固定化することは、
具体的には東京にマンションを買ってしまうことは、
かなりリスクが高いことなのだ。やはり。



PR

コメント

プロフィール

HN:
もっちー
性別:
非公開

カテゴリー

最新記事

(05/12)
(05/06)
(05/06)
(04/13)
(04/13)

P R