相変わらずテレビ番組は酷い内容が多いが、
今日は転売についての批判的なニュースを見たので一言。
「転売」という行為を、ちょっと否定しすぎだと思う。
ある人がその人のために与えたものを転売するのは、
あまり良いこととは言えないとは思う。
たとえば両親がくれた誕生日プレゼントを翌日ネットオークションで売り払って
そのお金でパチンコとかに行っていたら、両親は悲しむだろうな。
その文脈の転売は批判されても仕方ないかもしれない。
でも、たとえば両親の死後、いろいろうまくいかなくなった子が、路頭に迷い、
今日の暮らしに困り果てたとき、プレゼントでもらった時計を売ってお金にし、
生き延びることでその後起死回生の足掛かりにできたとしたら、
両親も本望ではないか。その転売は良い転売だ。
一方、マーケットにおける転売は、市場の価格調整メカニズムの根幹をなす機能だ。
安いところから仕入れ、高いところに売る、というのは、商売の基本だ。
転売を否定するということは、そういう商売、貿易を否定すること、
自由経済を否定することに等しいのだ。
ポルシェが1万円で売ってたら、自分が乗らなくても、買って売ればいい。
誰だってそうする。それはポルシェの価格設定が間違っていただけであり、
自由な取引、商業によりポルシェの価格は適正価格にいずれ落ち着くのである。
これは株式の売買も同じだ。
日本人はとかく短期の売買を否定する人が多いが、
短期売買により日々価格調整がされ、企業の時価総額が適正値に収れんするのだ。
これを否定することは株式市場を否定することと等しい。
このように、なぜか日本人は商業を低く見る傾向があると思う。
ものづくり・職人・メーカーは偉い。
商業や金融は卑しい。
そう思ってないだろうか?
なぜ?農業国だから?士農工商だったから?
ちょっと現代社会においては再考すべき悪習ではないだろうか。
最後に、興行におけるチケット転売について一言。
ダフ屋が否定されて、興行チケットの転売は悪とされている。
これも、上記の経済原理的には興行主がプライシングを間違えているように見えるのだが、
実はそうではない側面がある。(そういう場合もあるとは思う。)
たとえば、劇団四季は、あえてプライシングを低く設定し、転売を禁止している。
なぜか。
それは、文化の東京一極集中や、金持ち集中を避けたいという四季の哲学があるからだ。
僕はそれは肯定されるべき素晴らしいポリシーだと思うし、
実は四季に経済合理性もある。なぜなら、とにかく一回目の観劇のハードルが高い
演劇について、まず一回安く来てもらって、リピーターになってもらいたいからであり、
また重要な経営要素である俳優の確保には、一部の人にたくさん見てもらうよりは、
広く多くの人に見てもらったほうが良いからである。
「転売」とひとくちにいっても、様々な事情や切り口がある。
一概に転売が悪などとは、決して言えない。