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もっちーのせかい

高級寿司屋

私は美食家というものをあまり好かない。
最近は「フーディー」などと呼ばれる、世界の高級レストランやらを
食べ歩くグルメ気取りが多いらしいが、資本主義の末期症状だろう。
所詮、ミシュランやらグルメサイトやらの星が高いところの写真をインスタにあげて
自慢したいだけだろう。しらんけど。
テレビのタレントでもそういう店を渡り歩いて本まで書いている人がいるが、虫が好かない。
所詮、星の高い店を知っている、行ったことがあるという優越感と、
格式の高い店の店主と「お知り合い」になり、そういうグルメ仲間と「お知り合い」
になれた「感がある」ことに虚妄とわからず浸っているだけであろう。

この嫌悪感の原因はなんだろう。

芸人のグルメ社交界気取りへの嫌悪感は、
「パーティー開いて人脈広げてます」「SNSで人脈広げてます」
とか言ってるビジネスマンへの嫌悪感に似ている。
人脈とはそういうものではない。
名刺を交換したら信頼関係が生まれるといっているようなもので、
本当はそうではない。本当の信頼関係を気づくには時間がかかるし、
つまりそんな大人数は無理だし、逆に信頼関係があれば名刺など関係ない。

美味しいものを食べると幸せ、高級なものは美味しい、星のついた店は美味しい、
といった浅はかな感覚への嫌悪感もある。
星は、ダメなものを排除する役割はあるが、
星が高いものは金や政治で操作されている可能性もある。
ミシュランやオリンピックやノーベル賞と聞くと無条件で賞賛する頭の悪さが嫌いだ。
また、値段が高いレストランがうまいとは限らない。
というか、うまさだけなら家で作る飯とか、牛丼のほうがよほどうまい。
少なくとも、一食300円とかのそれらの100倍の美味さがあるはずはない。
つまり、高級店に金を払う人は、味ではないものに金を払うのだ。これは後述する。
また、あまりに食えないのは悲惨だが、美味しいものばかり食べてると
頭が悪くなるし、病気になる。
飽食はさらなる刺激(スパイス、濃い味、油)を求めて肥大化し、
美食の満足はハングリー精神を滅ぼす。
ユダヤ教でスパイスの過剰な使用を禁じたり、
粗食を奨励したり(パンをイースト菌で膨らませることすら拒む)、
時には断食をすることの理由をよく考えるべきなのだ。

「格式ある店」の横柄な態度も気に入らない。
最近は高級寿司屋がグルメさんたちに大変人気で、価格帯も以前に比べ1、2万円はあがり、
予約も全然取れないようだが、久兵衛のような寿司屋がオークラを訴えたり、
客に横柄な態度をとったり、勘違いも助長させているようである。
まあ、上記の新興グルメさんのような、薄っぺらい客に嫌気がさしてるのかもしれないが、
格式やら人気やら伝統にあぐらをかいて腐敗するのは、政治や企業だけではないようだ。
つうか寿司なんて素材勝負の度合いが大きいし、もともと庶民の保存食だし、
誰でもできるってことがばれるのが怖いから、「いい食材」をお仲間で囲ったり、
新入りに厳しい修行をさせてなかなかにぎらせない、って面もあるんじゃないのか。
なんかでもそういう変な「ブランド化」に成功したことで、保守的なおじさんたちに
その「態度」がうけて、高い値段でも来てくれるようになって、
高くなると変な奴がこれなくなって、そうすると見栄っ張りの男がデートで女を
連れていくということになり、店が繁盛する。そういう構図がある気がする。
まあ、ロクな世界じゃないね。

女性が寿司を握ることと職人の仕事について、
も書きたいけど、今日はつかれたのでこれまで。。
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