日本は不動産の所有にこだわる人が多い。
バブル期には土地神話なるものもあった。
むかしは公地公民と言ったりして、土地は天皇なり幕府の所有物だった。
でも広大な土地をひとりで所有していても使いきれないし耕しきれないから、
実際の使用・収益(住んだり、耕したり)は他人に任せることになる。
そして所有者は税金なり手数料なりを取る。
つまり、土地の所有者とは、土地から生み出される価値・果実の最終的な受け取り手という
概念だ。最終的なだけで、全ての果実の帰属主体ではない。
なぜなら、他人が耕してくれるから収穫でき、住んでくれるから価値が生まれるわけで、
その他人に果実を与えないと所有していても土地が使われず、無意味だからである。
所有者にとっても、社会にとっても。
土地が神のものだろうが、将軍のものだろうが、
所有と言うのは概念にすぎず、例えばその土地の居住権なり耕作権なりが
居住者・耕作者間で売買できれば、土地は経済活動の中に組み込まれ、
所有者はマーケットで最大化されるその土地からの果実をぼーっと待って享受するのみである。
つまり、結局、所有者にとっても、社会にとっても、本質的に大事なことは、
その土地を一体どういう使い方をしたら富が最大限に生み出されるか、ということだ。
千代田区のど真ん中に一軒家を建てるのが本当に最適なその土地の使用方法なのか、
ド田舎の山の中に新幹線の駅を作ってとなりに巨大な商業施設を作ることで収益があがるのか、
ということをマーケットの自由競争のなかで決めましょう、ということだ。
ただ、株やらの金融商品と土地の違うところは、
やっぱり土地は人の生活の基盤と言うことだろう。
株をファンドに買い占められても別に生活には困らないが、
地域の土地を買い占められて「使わせない」と言われたら、多くの人が生活に困る。
そこを当然危惧して、各種の法律で手当がなされている。
つまり土地を所有するということは、他の金融商品とは違う根源的な価値がある一方、
諸々の規制を受けるため他の金融商品ほど自由にはできないよ、ということだ。
一長一短である。結局価格による。