厚労省が副業を可とする会社向け就業規則のひな形をつくったり、
ソフトバンクが副業OKの就業規則にしたりと、副業が話題になっている。
「ハイ、副業バリバリやってますよ!ネットでビジネス立ち上げて、
自分で作ったアクセサリー売ってて、月に10万円ぐらい稼げちゃってますねー、エヘ」
「えーすごーい、そんなに稼げるんだー。副業夢があるー。」
みたいな会話を聞いてると、なぜかイライラする私は古い人間なのでしょうか。
副業が禁止だった理由は、会社が把握できないところで従業員に変なリスクを負ってほしくない、変なトラブルに巻き込まれてほしくない、自分の会社の仕事に集中してほしい、
というところだろう。会社としては。
本人にとっても、本当は自分の仕事を極めた方が、結局給料は最大化する。
寿司職人の弟子が、空き時間にフレンチのバイトをしていたら、
「寿司もロクに握れないくせに、他のことに手を出してる場合じゃない!」
と師匠にどやされるだろう。その指摘は、間違ってない。
若い会社員が、「ネットの副業してるんですよー」、と言うのを聞くと、
どうしても、「お前は自分の本業一人前に出来てるのか?本当に。」と突っ込みたくなる。
そもそも副業とか言って、片手間でやってるんじゃねえよ、という怒りも湧いてくる。
でも、失敗したら本人の責任だしいい薬になり、成功したら大した奴だったってことで、
別にトライすることはいいことだとも思える。
資本主義は分業と協業が重要な要素だと思う。
それぞれが専門分化することで効率性が高まる。
それは、プロフェッショナルを生み出すが、一方で、人生を退屈にしたとも思う。
効率的に生産できるようになり、暇になり、何をしていいかわからなくなり、
結局スマホでゲームや酒をのんでばかりの人生。そんなことしたくて効率化したのか?
現代社会はそういう根本的な疑問の渦中にある。
その中で、大してすることない大企業の仕事や、
専門分化に飽きた人たちが、副業として自分の幅を広げたいという流れは、理解できる。
そこには価値観の多様化や、若い人のスキルや要領が上がってきているという背景もある。
だから、副業をみんながしだす、というのは、自然な流れなのかもしれない。
また、重大な原因として、日本の企業の多くは年功序列・終身雇用の中で、
頑張ろうが頑張るまいが、成果を出そうが出すまいが、給料は大して変わらず、
と言う制約もあるだろう。成果に応じて報酬がもらえるなら、いちいち副業などせずとも、
自分が最も得意なことに集中した方が、経済効率的には良いはずだ。
ただやはり、本業あっての副業。
軸が無いとアイデンティティクライシスに陥りがちだし、
事業をなめたら痛い目にあいそうだし、いくら稼げてもそれで働きすぎたら本末転倒だし、
色々危険ははらんでいる。