縦割り、事なかれ主義、形式主義、偉そう。
世間で言われてる霞が関の国家公務員のイメージは、間違っていない。
結局そういう場所、そういう人間の集まりなのだ。
対外的には、社会をよりよくする仕事とか、
困っている人々を救済したいとか、格好いいことをいろいろ言うが、
実態は、上(政治)から降りてきた仕事をいかに省エネでさばくか、
つまり、自分の仕事ではないといって他部署や他省庁にふるか、
屁理屈をつけて検討しないか、がほぼすべてだ。
なるべく仕事したくないし、自分たちから提案など一切しないし、
スケジュールが提示されない限り急ぐ気など毛頭ないし、
他部署や他省庁と連携して実質的に良い施策・制度をつくろうなどとは思ってもいない。
財政破綻を本気で回避しようとなどしていない。
ただ自分の部署に関係あることだけ「処理」するマシーンだ。
AIでまっさきに仕事をなくしてほしいのは公務員だ。
どこの国でも同じなのだろうか。
結局官僚なんて、政治家に言われたことを整理・処理する機械なのだ。
政治は政治で票の世界だから、頭数、人気、感情で決まる。
多数の弱いもの向けのものになる。弱者ビジネスだ。
しかも最近は弱者は弱者で、わがままというか、ぜいたくというか、
自分たちの既得権益を維持、強化するだけの餓鬼と化している向きがある。
つまり永田町、霞が関なんて、終わってる世界だ。
だから、この世界で形式的なお題目として唱えられていることを、
真に受けて社会がその方向に向かうと考えてはいけない。
医療のビッグデータを活用するなどと言っているが、
医者が自分たちの稼ぎのタネを放出するわけがないし、
ビッグデータがあったところで使い道がない。誰も使い道をわかっていない。
使い道がないのにとりあえず莫大な金を投じてデータを集めるといっている。
そんなこと実現するわけがない。無駄だ。
地域医療連携・地域包括ケアなどといっているが、
わがままで異なる経営主体の彼らが、連携するわけない。
連携する意味もあまり感じられない。かかりつけなど、本人のデータを
本人が集約して持っていれば足りるし、そっちの方が早い。PHRで解決する。
年金で100年安心などと言っているが、60歳で引退して残り40年遊んで暮らす金が
他人から出るわけがない。仕事を続ける必要がある。
財政破綻したところで日本が消滅するわけではなく、
政府部門がリストラされ、経済が混乱・低迷するが、
基本的には国債保有主体が損するだけだ。借金したもの勝ちだ。
そういうクソ社会なのだ。現代は。
結局破綻後に仕事があるのは、財政を緊縮させようと頑張ったり、
つつましい生活を送っていた人ではなく、借金してガンガン仕事をしていた人なのだ。
そういうクソ社会なのだ。現代は。
なんか、バカバカしいよね。