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もっちーのせかい

清原和博氏の薬物使用の件について

昨日、元プロ野球選手の清原和博氏の
覚せい剤取締法違反の件で初公判が開かれた。

マスコミや街の人の論調はほぼ、
「清原は犯罪者だ。心が弱い悪人だ。刑務所に入って罪を償え。反省しろ。」
と言ってるように聞こえる。

私はそれに本当に違和感と、嫌悪感と、危機感と、日本社会の不気味さを感じる。

薬物の使用は、一時的な快楽を得るだけで、
本人が幸せにならないし、周囲も幸せにならないし、
反社会的組織を潤して、社会も幸せにならない、
だから法律で禁じて、刑罰を科すことで、
抑止力にしている、というのはまだわかる。

しかし、清原氏個人の「罪」とは、いったい何なのか。
彼がクスリを使ったことで、元々の同僚や、世間の人々は、
何か直接的に被害を被ったのだろうか。
被っていないはずだ。
ではなぜこれほどまでに彼の「罪」を非難するのか。
それは、「ルール違反をしたこと」に対する怒りと非難としか思えない。
内容ではない。とにかく、「ルールを破ること自体」が許せないという反応だ。

それってちょっと異様じゃないですか?

中身をよく考えれば、上記の理由で国が社会システムとして薬物使用を禁止して、
仕方なく刑罰を科していますが、彼は自分のためにクスリを使って
自分で苦しんでいるという、自分の中で完結している行為をしているだけです。
本質的には。パチンコや競馬で破産する人や、アルコールやタバコに依存して
破滅する人と、何ら変わりありません。
そういう人たちに対しては、世間は、非難というよりは、
「残念な人、かわいそう」と思って誰かが手を差し伸べたり、
「バカだなー」と思ってほっといたり、といった反応をすると思います。
でも、同じことをしたのに、「違法」とされている薬物使用をしたとたん、
非難・厳しい責任追及にかわる。ちょっとおかしくないですか?

やっぱりこれは、「お上」のいったことにすべて素直に従う、従うことが目的化している、
従順であるけれど、裏を返せば思考停止しているという、
日本人のマジョリティの特徴だと思う。
今現在においては、「悪い」特徴。

清原氏に関しては、家族や親友だったら、いや、街の人も、
何が彼をそこまで追い詰めたのか、考えて、彼をサポートしたり、
自分がそうならないためにはどうしたらいいか考えて行動したり、
社会の問題点を考えて是正したり、そういう反応がまともな反応だと思います。
反省してほしいとか言ってる場合じゃない!
それは、検察が仕事として言うことなんだ。

何が彼をそこまで追い詰めたのか。
「心の弱さとは何なのか?彼の心は弱いのか?多くの人より格段に弱いのか?
弱かったとして、それはすべて彼の責任なのか?」
「そもそも違法な薬物を作って売る人が犯罪で問題なんじゃないのか?
使用者はむしろ被害者なんじゃないのか?それに対して国は万全を尽くせているのか?
なぜ競馬やパチンコやタバコはいいのか?」
「スポーツ選手の引退後は、こういったケースが多いんじゃないのか?
なぜそうなるのか?有用な人材なのに学歴や年齢で採用しない会社のシステムに
問題があるんじゃないのか?それを主導してるのはお上じゃないのか?」
「どんなに社会を上手にガバナンスして、薬物を取り締まっても、
これだけ人間がいる以上、誰かには社会の歪みのしわ寄せがいって、
ストレスがたまって、薬物を使用してしまう機会があり、それは根絶できないはずだ。
ゼロにはならない。それは本当に、すべて薬物を使用した個人の責任なのか?
罪とは何なのか?親や家族や周囲や社会にも責任があるんじゃないのか?」
こういったことをもっとみんな考えましょうよ。そろそろ。
もっと色んな視点や意見があることでしょう。
少なくとも、上記に完璧に答えがある人はほとんどいないでしょう。
それなのに、清原氏個人を徹底的に批判するというのは、間違っていると思います。

そろそろ、ひとりひとりがちゃんと思考する社会にしませんか?


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