やはり日本は、箱としての会社を存続させることにこだわりすぎじゃないだろうか。
従業員を守る。そのために組を守る。シノギを変えたり、政治にすり寄ってなんとか組織を存続させることに心血を注ぐ。
会社が買収されることは恥であり、お家が取りつぶしになることはこの世の終わり。
歴史的にそういう社会だったことは否定しないが、本当に組織や会社を存続させることが最も重要なことなのだろうか?
目的は、社会が豊かになって、その会社の従業員であるまえに社会の市民である個々人が豊かになることだろう。そうであれば、ハコが何であるかは目的ではないはずだ。
変化する社会にとって必要な会社が生まれ、成長し、役割を終えた会社は衰退する。
自然の摂理だ。
その会社の衰退や従業員の一時的な失業は、次なる成長のために必要な痛みなのだ。
その痛みを避けて、安定でいたい、変わらずいたいという願いが強すぎて会社という箱を無理やり温存しているのであれば、いつか社会は破綻する。
破綻しなくても、非効率が温存される。
社会が変わっていくのに会社が変わらずいるということは、会社の事業内容が変化していくということだ。そして人材の流動性が低い中で事業内容を変化させるということは、同じ人がいろんな仕事をかわるがわるやっていくということだ。それは、専門性が身につかない。
同じ人の集まりである同じ会社が七変化して色んな事業をやっていて、会社は社会環境によって栄枯盛衰するが、人は専門家していくアメリカに、それで勝てるのだろうか?
アメリカにGDPで勝つことがすべてではない。
専門性と縦割りには、デメリットもある。しかし、GAFAのような企業が日本に生まれない、なぜだ、働き方改革だ、といって残業代を削っていても、上記の構造的問題からアメリカに勝つことはできないと思う。ソリューションになっていない。
イオンや吉野家に勝てない商店街を温存する政策はもっとひどい。
なぜ非効率や怠慢を温存するのか。頭数で圧倒的多数になる中小企業の味方をすることが選挙で勝つことになるという「民主主義政治」(=悪い意味での多数決政治)の結果なのだが、どうにかならないものか。
民主主義政治の修正が必要なときに思えて仕方ない。
しかし、大きな潮流を一部の人の力で変えることはできない。
破綻まで進み、そこで過ちが露呈し、焼け野原からやり直すしかない。
人間社会とは、まだまだそういうレベルの低い段階と言うことかもしれない。