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もっちーのせかい

宗教

「宗教」という言葉に対する日本人の嫌悪感、誤解、理解の低さが
本当に甚だしく、日本社会の根本的な問題をよくあらわしていると思う。

宗教
=盲信的・狂信的に何か・誰かを信じるイカレタ危険な連中
=創価学会とかオウムとか、アイドルとか権威ある人を崇拝する○○信者とか。。
という程度の認識しかない人がほとんどだと思う。
でもそれは間違っている。

まず、自分たちが、「世間体」とか、「権威ある誰か(人)」を盲信して生きている
ということに気づいていない。それこそ最も危険な行為なのに。
権威ある誰か、とは、総理大臣だったり、どっかの社長だったり、上司だったり、
金メダリストだったり、ノーベル賞受賞者だったり、東大卒だったり、
医者だったり、弁護士だったり、メディアだったり、親だったり。
自分の頭で考えず、そういった「人間」の言ったことをそのまま鵜呑みにした価値観
で生きている人が日本人の大半であり、そういう人が上記の「宗教嫌い」になっている
という矛盾を感じる。繰り返すが、そういう人は自らが最も危険な宗教信者だ。

どうして最も危険な盲信なのか。
そういう権威ある人が言うことが、全ておかしい・間違っているとは思わない。
むしろ、人々がその社会で幸せに生きるために、
まっとうなことを言っていることが多いだろう。
でも、人は完璧じゃないのだ。間違えるのだ。そこが問題なのだ。
その人の全てを疑わずに信じて行動すると、
どこかで必ず間違えることになる。だから危険なのだ。
無益な戦争になる。ホロコーストになる。
そして、人は変わるし、死ぬ。
人を崇拝するということは、その人に依存するということに容易につながる。
その人がいなくては生きられない、という歪んだ状態に陥りやすいと思う。
そういう状態のときに、崇拝する相手に裏切られたと感じた場合、相手が死んだ場合、
ストーカーみたいになってしまったり、精神崩壊したりする。
アイドル殺人の心理はここにあると思う。

一方、「神」を信仰することには、普遍性がある。
その時代、その地域の、権威者の不安定な形質や感情に左右されない。
神は間違えない。神は死なない。神は自立を促すので依存できない。基本的に。
「神」をそういうものとして信仰しているので、必ずそうなるのだ。
それは、特定の人間を崇拝するより、よほどまともなことではないだろうか?
確かに、宗教は、信者が増えて組織化されたり、お金が集まったりすると、
政治利用されたり、対立を生んだり、人類に悪い面をもたらしてきた面があるかもしれない。
しかし、それは、宗教でなくとも常に起こっている、人間社会の作用ではないだろうか。

また、少なくとも、人々が幸せに生きるための人間関係のつくり方とか、
考え方とか、生活様式とか、そういう普遍的なことを何千年もみんなで議論してきた
集大成という面が、キリスト教やユダヤ教にはあるわけで、
そこには、幸せに生きるために重大なヒントがたくさんあると考える方が、
まともなのではないでしょうか。
そういう幸せに生きるための方法、正しい人の在り方を、「神」という軸をもって
みんなで議論しているわけで、その議論と結果としての教えが大事なのであって、
イエス・キリストが実在したかどうかとか、聖書は誰が書いたかどうかとか、
そういうことは全然本質ではないと思うのです。

そう考えると、幸せな生き方、正しい生き方を、「神」という普遍的な
概念のかたちをかりて議論し続けるという、非常にまともなものが「宗教」で、
多くの日本人が誰かや何かを盲信することがいかに異常で危険なものか、
考えが逆転すると思うのですが。いかがでしょうか。


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