カウンター 忍者ブログ

もっちーのせかい

フラニーとズーイ

サリンジャー。読みました。

祈り、信仰の意味を勘違いして、
独善的な世界に陥ってしまったフラニーを、
同じような悩みをもつ兄ズーイが諭す話。

ズーイは、太ったおばさん、がキリストなんだと言う。
芝居を観に来る、ファットレディこそが、キリストなんだと言う。
その意味は何か。フラニーはそれに納得して微笑んで眠りにつく。

フラニーもズーイも、今風に言えば、
ブランド企業やバンカーやコンサルやIT系みたいな世界で、
意識高い系でバリバリやって、海外で仕事したりして、
スキルとか、給料とか、高ければ勝ちだと思って、
自分たちが偉いと勘違いしてる人間や、
そんな人を賞賛してしまう社会が大嫌いで、
でも、だからといって、そうでは無い人、
何もせず凡庸に無駄にただただ生きて、
貧しく、何も社会に残さず、堕落した人生を送るのも、
まっぴらだと思ってる。

まさに、自分もそうだった。。

フラニーは、両方の悪いところを見てしまっていたのかな。
完璧主義だったのかな。
いけ好かない意識高い系も死んじまえ、
何もできないバカとデブも死んじまえ。
ズーイはそれを諭す。
祈るなら、愛が幸せだと思うなら、
そして自分が何らかの思いや力を持っているとするなら、
そのバカとデブこそ、救ってやるべきだ、
それが愛で、信仰で、キリストの想いだ、
そう言ったんだと思う。
それで、フラニーに演劇を続けることを勧める。

とっても共感できるし、改めてハッとした。

太ったおばさんは、自分の管理ができなくて、
ストレスや感情のコントロールができなくて、もしくは病気だったりして、
太っている。そして一人で芝居をいつも楽しみに来るということは、
孤独であり、芝居のカタルシスを求めているということなんだと思う。
多くの人、特にその意識高い系の人々、は、そういう人に対して、
自分のせいだ、努力できない自分が悪い、自分をコントロールできない
弱い自分が悪い、と言って、孤独や不幸や貧困を、
当然の報いだと考えている節がある。

でも、果たして本当にそうなのだろうか。

いい大学に入って、いい企業に入った人は、
本当に自分の努力が大きくて、自分の提供した価値が大きいから、
そういう状態になって、給料もたくさん貰ってるんだろうか。
親や、環境が与えてくれたものや、社会の歪みでたまたま異様に高い
給料と安定があるだけでは無いのか。
太ったおばさんは、本当に自分の努力が足りない怠惰な人間なのだろうか。
不治の難病が彼女を襲ったのだとしたら、どうして彼女を責められようか。
親に捨てられ、環境に恵まれず、学校教育もこのていたらくで役に立たず、
だったとしたら、どうして彼女を責められようか。

この物語は、それを指摘している。

この物語に対して、宗教くさくて嫌だ、という日本人が多い。
日本人は、とにかく「宗教」という言葉に対する理解が低い。
まったくゼロ、いや、甚だしい勘違いばかりだ。
自分たちが、「世間体教」という、最も危険な宗教を信仰しているにも関わらず。
、、、考えてみてほしい。人を信仰することの危うさを。
お上や、天皇や、社長や、アイドルや、誰か人間を信仰することの危険性を。
人は間違える。人は不安定だし、コロコロ変わる。どんなに立派な人でも。
なのに、日本人は人を信仰し、間違え、戦争する。
神は人では無い。髭をはやしたどこかのお爺さんではない。
全知全能の正しい存在、なのだ。
それを信仰するということは、正しさとは何か、
幸せとは何かについて考え、問い続けるということに他ならない。
本質的には、全くもって健全で、何の危険もない、人として当たり前の行為だ。
その何千年の議論が、タルムードや、キリスト教諸派の議論に纏まっている。
正しい、幸せな人間のあり方、生活の仕方、人間関係のあり方について、
何千年も議論されてきたことに、本質的なことが書いてあるに違いないと
考えることは、当たり前ではないだろうか。
勿論、適切なガバナンスのあり方とか、テクノロジーについてとか、
そういう比較的進歩のスピードが早いことについては、
言及が無かったり、間違っていることも書いてあるかもしれない。
でも、人間の基本的なことは、何千年では変わらない。
それが、日本人が忌み嫌う「宗教」の本質だと思うのです。
日本人はいま、宗教について、真剣に考え直すべきだ。


PR

コメント

プロフィール

HN:
もっちー
性別:
非公開

カテゴリー

最新記事

(06/15)
(05/25)
(05/12)
(05/06)
(05/06)

P R