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もっちーのせかい

劇団四季の凋落

劇団四季の専用劇場「春」と「秋」を取り壊し、竹芝の再開発が進められている。

新劇場がミーハーな商業施設の中に入ってしまうことにちょっと違和感を覚えたり、
でもせっかく劇場に足を運んだ客がぞろぞろと浜松町駅にそのまま帰るのも勿体ないと思ったり、
そんなことを思いながら何を上演するのかと思いきや、
昨日発表されたこけら落としの演目は、「アナと雪の女王」・・・。
もうただのディズニーお祭り集団じゃないか、とガックリきた。

文化レベルの低い日本に、本当の演劇を浸透させるためには、
第一段階としてとっつきやすいミュージカルを演じる必要があった。
観客のためにも、劇団の経営のためにも。
それは理解できる。
でも、昨今の四季、浅利先生が亡くなってからの四季は、
そういう意味でディズニーをやっているようには見えない。
金儲けに走ってるか、本当の演劇の浸透をあきらめたようにしか見えない。
だからがっかりする。

ディズニーが楽しくないとは言わない。
ライオンキングのミュージカルは完成度が高い、良い作品だ。
ノートルダムもいい。
でも、本当に四季にやってほしいのは、四季しかできないのは、
作品のカタルシスを伝える演目なのだ。
精神的な窮乏、心の病が深刻な現代社会で、
心の垢を落としてくれる存在、純粋な気持ちを取り戻させてくれる舞台、
それがカタルシスと言われる、本来の演劇の効用であり、現代日本に必要なものなのだ。
アナ雪でレリゴーとか唄われても、宝塚や往年のスターの歌唱大会と同じじゃないか。
ただの子ども向けの休日イベントじゃないか。
そんなお祭りを提供してほしいんじゃなくて、心の病院になってほしいのだ。

そういうわけで、劇団四季の凋落を感じるニュースだった。
そもそも海外では演劇の興業はプロジェクトベースで行われる。
四季みたいに会社で興業をし続けるのは珍しいのだ。
なぜそれが可能だったかというと、浅利慶太という圧倒的な唯一のカリスマがいたからである。
氏が亡くなった今、それは崩壊の危機にある。
ただ、氏が築き上げた「四季」のブランド力や、ディズニーの保有ライセンスがあるので、
しばらくは会社がつぶれるということはないだろう。
しかし、軽薄なイベント会社と化してしまった劇団は、
過去の遺産を食いつぶす残念な存在に成り下がることは間違いない。

今後、日本の演劇は一旦地に落ちるか、
志の高い演出家がプロジェクトベースで群雄割拠する時代になるのか、
前者になる気がしてしょうがないが、行く末をとりあえず見守ろう。

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