水町勇一郎氏の「労働法入門」では、
働き方改革の背景として①長時間労働問題と②正規・非正規労働者間の格差問題があるとして、
「①長時間労働を是正することによって、労働生産性の向上と労働参加率の上昇をもたらし、同時に、正規・非正規労働者間の待遇格差を是正することによって、非正規労働者の待遇改善を含む賃金全体の底上げを図り、日本経済に「成長と分配の好循環」を取り戻すことが、働き方改革の経済政策としての目標とされている」とある。
これは、経済オンチな考え方だと思う。
まず、労働生産性を売上/人件費とすると、長時間労働で人件費が上がり、売上が伸びなければ、労働生産性は下がる。残業代を稼ぐための無駄な居残りで付加価値を生み出せるわけはなく、また日本経済は需要が飽和しているので売上が伸びないという意味で、それは正しいだろう。
しかし、長時間労働を是正して労働生産性を上げるとは、どういう意味を持つのか。
残業代が減れば、売上が変わらなくても労働生産性は上がる。自明だ。
しかし、それになんの意味があるのだろうか。
企業のコストは減って利益が増える。
労働者の残業代が減る。余暇が増える。
需要が飽和した社会で企業が内部留保を積み増しても、結局キャッシュが積みあがるだけで、付加価値を増やせないから、拡大再生産にはならない。残業が減ったからといって、労働者が新しい付加価値を生み出せるようになるとは到底思えない。
むしろ今までもらえていた残業代が減って家計が苦しくなり、景気後退の可能性の方が大きい。
労働参加率の上昇というのも疑わしい。
ひとりの残業を減らして他の人に仕事をシェアしようということだが、そもそも生産性のない残業なのだから、減らしたところで別の労働者が必要になるわけではないのだ。
正規・非正規の格差解消、つまり、現実的には非正規の給与アップ⇒人件費上昇となるが、これは企業の持つキャッシュを、眠らせておくより労働者に配ろうということだ。
消費刺激策にはなるかもしれないが、需要が飽和し、企業がこれ以上付加価値を生めないと宣言しているに等しい。なので、「成長と分配の好循環」はできないという矛盾したことを言っている。
つまり、働き方改革の経済政策というのは、おかしい。間違っている。
では、働き方改革は不要か。
そうは思わない。やはり労働環境は多くの矛盾をはらんでいると思うので、改革は必要だと思う。
無駄に席に遅くまで座っているだけで残業代が出る。仕事が遅い人ほど残業代が出る。長時間座っていることが評価されることになる。
これはどう考えてもインセンティブとして間違っているし、会社も労働者も全然幸せにならないだろう。だったら残業代出してさっさと帰ってもらった方がずっとマシなはずなのだ。
これは是正したい。
無駄な受注獲得競争というのもある。
投資銀行では、案件を獲得するためにクライアントに分厚いピッチブックを持って行って「熱意」を示す。エクセキューションのクオリティで勝負すべきなのに、そこ(サービスやモノの付加価値)が同程度だと、結局オリジネーションの勝負になる。つまり「コテコテの営業」勝負だ。これは、競合との相対的な勝負なので、果てしない残業合戦になる要素を含んでいる。
これも是正すべき社会的無駄だ。
しかし是正方法が難しい。
とりあえず残業を規制するようだが、それって結局、企業の人件費が浮く効果が大きい。労働者は収入が減って苦しくなる。
まあ、労働者は給与が減ってもその分時間ができるから、ストレスが減って無駄遣いをしなくなったり、家で料理をすることで節約にもなり、健康になって医療費も浮くかもしれない。そして企業が温存した残業代分のキャッシュを、非正規労働者の賃金アップに使えるかもしれない。
正規・非正規で、同じことをしているのに給料が違うのはおかしいとして是正される。
同一労働同一賃金というやつだ。
これはどうなんだろう。そもそも、正規と非正規では雇用期間が違ったりすることで、責任の重さが違うのだから、その分報酬が変わってもおかしくないとは思う。
また、企業にとって選択の柔軟性をもたらす非正規は、そのオプション分価格(賃金)が高くなってもおかしくないと思う。
つまり、正規・非正規で同じ仕事をしているとしても、賃金が異なる正当な理由はいろいろあるだろうということだ。だって、多様な働き方が肯定されるって、そういうことなんじゃないの?
まあ、現実として、正規でも大した責任なんてないし、労働者としてはどちらも辞めるオプションなんて等しいのだから、雇用期間もより制限がなく、より待遇もいい正規を望む、つまり非正規は負け組の巣窟となり、強い立場を利用して非正規を奴隷化する、という観点はあるので、その是正は必要だとは思う。
というわけで、やはり働き方改革は必要だ。
でも、経済政策的観点は、多分にあやしい。