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もっちーのせかい

信じること

祈ること、信じることは、人を強くする、ストレスを軽減する
というのは、どうやら真実っぽい。

でもね、そういう、宗教とか、ひとつのものを信じるという行為は、
ずるくないですか?実は。ずるいし危険。

ナントカ経典に書いてあることを全て信じて、
書いてある通りにすることが正しいと信じて、
迷いなく人生を生きるその人は、
そりゃあ強いさ。
だって迷いが無いんだもの。
そりゃストレス無いわな。

でもさ、それって、ある意味思考停止だし、
思い込みだし、頑固だよね。
国やコミュニティがそれを信奉すると、
全体としてはたしかに強いよ、そりゃあ。
一致団結できるし、迷いがないし、コントロールできるしね。
でも、そこから外れた、外れたい人はどうするの?
その価値観、しっくりきません、って人は、どうするの?
そういう人、マイノリティは、本当に辛いんじゃないの?
みんなの、マジョリティの犠牲だよね。

ユダヤの家庭に生まれてその戒律?に疑問を持つ人とか、
イスラムに生まれてイスラムが嫌な人とか、
日本に生まれて「世間体教」が嫌な私とか、
どうすればいいわけ??
教えてください。
ってなるよね。

そこに対立や憎しみ、恨みが生まれるし、
信じているものが違う同士で対立が生まれるし、
そうしてテロや戦争につながるし、
そういう意味で危険でもあるのだと思う。

だから、楽だし、強くなれるし、迷いがなくなるんだけどさ、
やめません??そろそろ、その思考停止。本当に!

例えば、何千年も前のユダヤ人とかは、本当に辛かったんだと思う。
奴隷だったり、食べ物もなかったり、財産もなかったり、バラバラになったり。
だから、強力な信仰を持つ必要があったんだと思う。
やはり、強力な思いを持つ人は、強烈に辛い経験をしている人なんだと思う。
でも、現代の先進国の人は、そこまでのストレスはないでしょう。
食べ物はおいしいものがいつでも食べれる。ふかふかのベッドもある。
音楽もすぐダウンロードできて、映画も演劇も漫画も色々あって、
公園もあって、いつでも走れて。
逆に辛いことと言ったら、そういう価値観を強制されたりして、
精神的に抑圧されている、精神的な自由がないこと、なんじゃないのかな。
みんな自殺するし。

つまり、物質的に経済的に豊かになってきたら、
強力な信仰なんて要らないし、むしろ害悪だってこと。
みんなが独立して自立して多様な価値観を持って話し合うのが一番いい。
ポスト宗教は、ダイバーシティ経営だ。

日本はまだまだそうなってないし、
そもそも世界にはまだまだ貧困にあえぐ地域があり、
そこでは強力な信仰が必要で、それがテロに形を変えたりしている。
その脅威は、ずるい先進国を脅かしている。

だから、本当に、グローバルで物質的になるべく均一に
豊かになって、そして宗教から脱して、ダイバーシティ経営をする、
という、これからはそういうものを目指すべきだと思う。



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