先進国は低成長といわれ、高成長の新興国への投資が盛んにおこなわれる。
低成長は問題だと言われ、少子化は問題だと言われ、成長しない企業も個人も、
まるで敗者のような言われ方をする。
はたしてそれは正しい考え方なのだろうか。なにをもたらすのだろうか。
シアノバクテリアが光合成をはじめてから地球に酸素が充満し始め、
植物が陸上にあがり、動物も後を追って陸上にあがった当初、
大気の酸素濃度は35%ほどあり、(今は20%ほど)
その強力なパワーを利用して、大型の生物が陸上で繁栄していたようだ。
その後、大噴火(?)の影響で酸素濃度が低下(15%ほど)すると、
巨大生物はその体を維持できなくなり、我々哺乳類の祖先は、
体を小さくすることで効率的に生き延びたようだ。結果的に。
そして今人間は繁栄している。(ように見える。一応。)
つまり、酸素濃度が高かったときは、巨大化が支配戦略で、
大きいほど勝ち組だった。
でも、酸素濃度が低くなったら、そうじゃなくなった。
いかに小さいエネルギー源で効率よく活動するかが支配戦略になった。
という見方もできるだろう。
現代社会は、巨大さを求めるという過去の支配戦略に支配されている、
という気がする。低成長ならば低成長なりの生き方、支配戦略があるのに、
まーだ巨大さを求めてるの?と。何のために??
少子化で何が悪いのか?5人子供を産んだ夫婦は偉くて、1人だとダメなのか?
そんなわけない。少子化で困るような社会制度が悪いのだ。そこをよく考えろ。
何で成長率が低い企業はダメなのか?
より高い企業に投資されるので、株価が下がるからか。
でも、そのセクターが成熟したから低成長なわけで、そのセクター自体が
消滅しない限り、ポートフォリオとしての価値はあるんじゃないのか?
あと、仮に世界全体が成熟して低成長になったときはどうか。
そのときは、何かまた違う軸での評価がはじまり、
全然違う世界になるのではないかな。
個人は、成長という概念が、もっと曖昧だ。
背が伸びるのは成長だろう。でも、何かを覚えるとか、スキルを得るとか、
そういう意味での成長って、一体何なんだろう。
絶対的にその成長が正しいわけではない。だって、それを獲得するために
失っているものがあるんだから。
そもそも、成長なんて、あるモノサシで判断しているだけで、
別のモノサシで見たら、全然成長してなかったり、むしろ劣ってたりするわけで。
つまり、特徴や変化に勝手にひとつのモノサシを当ててるだけであって。
「成長」って、普遍的で絶対的な価値ではない。