くも膜下出血で倒れたKEIKOさんの「歌が戻らない」と、
小室さんが苦悩し、なんとか戻したい、力になりたい、という記事を見た。
色々ウワーッと想いが浮かんだ。
そのままじゃダメなのか。
歌えないKEIKOじゃ愛せないのか。
歌があってのKEIKOなのか。
KEIKOが歌いたいと言っているならそれで正しいのか。
でもそんなに苦悩するなら、歌えなくてもべつにいい、
という価値観に至ってもいいと思うし、
少なくともありのままの相手を愛せるはずで、
愛せればそんなに苦悩な日々でもない気がする。
でも、ありのままの現状を全肯定して生きればラクだけど、
何も成長しないし、文明もテクノロジーも経済も発展しないし、
夢とか希望とか冒険とかないし、つまらない、
ダメなやつな気もしてくる。
でも、成功を目指し過ぎてストイックになりすぎたバンカーや
スポーツ選手が結局バランスを崩して幸せになれていないことや、
アメリカの全員が必ずしも幸せそうじゃないこと、金持ち家族が
必ずしも幸せそうじゃないことをみると、
成長も成功も夢も、やりすぎてもいいことは無さそうな気もする。
結局こういう結論になる。いっつも必ず。バランスだと。
やりすぎがとにかく良くないんだと。そういう結論に。
レリゴーの「ありのまま」を肯定することも大事だし、
美女と野獣の「ever just the same」を喜ぶことも大事だし、
勝ちたいと思って頑張ることも大事だし、
自分や社会の可能性を信じて夢を追うことも大事。
動物、生き物としての大前提が、前者。
生きてるだけで価値がある。
エネルゲイア。
社会的な人間としての前提が、後者。
人間関係の中で、勝ちたい、認められたい、
コミュニケーションしたい、貢献したい。
キーネーシス。
なのかなあ。
それは、相反するけど、人間としてはどっちも必要。
そういう矛盾を抱えながら生きているのが、人間ってことなのかしら。
そりゃあ苦しいし混乱するわな。笑