元プロ野球選手の清原和博さんが、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕されたニュース。
本人は所持と使用を認めているらしい。
しかしこの件に関するテレビを中心とした報道、コメント、
私としては驚きの連続です。
「信じてたのに裏切られた。みんな怒ってる」
「ちょっと弱すぎる」
「許せない」
「子煩悩と聞いていたが、そんな人がなぜこんなことをするのか、信じられない」
テレビだから視聴率をとるために敢えてこういうことを言うの??
むしろそう信じたいけど、たぶん本気だし、
日本人のマジョリティはこういう考えなんだろう。推測だけど。
だとすると、とにかく日本人というのは、決められたルールを守るということが
とにかく絶対的な命題なんだね。
ルールの中身とか、実質的なこととか、ルールを変えるとか、
そういうことは考えない。とにかく従い、従わない人を排除する。
ムラ社会ですか。それでいいの?少なくとも私は嫌です。
そもそも、なぜ薬物の使用を禁止しているのか。
反社会的勢力の資金源になってるとか、そういうこともあるでしょうけれど、
基本的には、本人が、使った自分自身が幸せにならないであろうからでしょう。
基本的には、他人に迷惑をかけるものではないでしょう、別に。
なのに、「怒る」とか、「許せない」という発言が出るというのは、
本質的にはお門違いというか、意味不明だ。
唯一そういう感情になる理由はやはり、
「ムラの掟を破る者は悪。とにかく悪。形式要件でとにかく悪!」
という、私からすればちょっと異常な価値観だろう。
薬物を使うほどの状況に追い込まるということは、
正直言って、誰にでも起こりえることでしょう。
本人の責任だけど、辛かったのは本人なんだから、
せめて友人とか過去の戦友であれば、
同情するとか、そうなるのがふつうなんじゃないのかなあ?
それを、怒るとか、許せないとか、わけがわからない。
「弱い」とかさ。何さまのつもりなんでしょうね。
あなたは絶対に使わないと何故言い切れるんですか?
間違って一度手を出した後、すぐに自分の意思で断ち切れると、
どうして言い切れるんですか?
どういう仕組みをつくっても、社会にはどこかに必ずひずみや溝ができて、
そこに落ちてしまう人は、どうしても出てきてしまうものなんだと思う。
薬物を使ってしまう人というのは、そういう人。
それを、たまたま自分がマジョリティの価値観の中で既得権益を得たというだけで、
さんざんに言って社会から排除するというのは、
しかも煙草を吸いながら、
それこそ私は許せないし、怒りを感じます。