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もっちーのせかい

金利

日銀はマイナス金利を導入しましたが、
基本的に現代資本主義社会は、プラス金利ですね。
人にお金を貸したら、利子を付けて返してもらうという「常識」。

でもこれは、普遍的な原理ではないですね。
現代世界の金融・ファイナンス、企業行動のすべての大前提になっている
金利ですが、歴史的にユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、
利子を取ることを禁じていたとも言われています。

どうして利子をとるのでしょうか?

貸したお金が返ってこない可能性があるからでしょうか。
でも、自分の手元にお金を置いておいても、紛失したり盗難にあって
無くなる可能性だってあるのではないでしょうか。
そもそも人に貸せるような余裕なお金(資産)がある人は、
借りなくてはならないほど困っている人には、
タダで貸してやればいいんじゃないでしょうか。
少なくともそういう考え方があり得るとは思います。

例えば、貨幣が存在しない、物々交換の原始的な社会を想像します。
それでも経済が豊かになれば、みんな資産を蓄えます。
が、それはお金ではなくてリアルなモノですね。
米とか、リンゴとか、包丁とか、服とか。たとえば。
そういう、リアルなモノは必ず劣化しますね。
時がたてば、腐ったり、さびたり、基本的に価値は減少します。
お金とは真逆ですね。これが自然だと思うんです。
でもなぜかお金だけは、お金がお金を産む。
余剰なお金を蓄えて貸したりすると、どんどん時間がたつとともにお金が増える。
実物経済では時間がたてば資産なんて消えてなくなるから、
みんなちゃんと働き続けて、価値を生み出し続ける努力をする。
金利がある貨幣経済では、金融資産がある人は働かなくても資産が増え続けるから、
お金集めにみんな没頭するようになる。
宗教が利子を嫌ったのは、このへんが理由である気がしています。

そういうわけで、とにかく金利がプラスの世界では、
金融資産を集めた方が圧倒的に勝つんですから、
みんなお金集めにとにかく力を注ぐようになるわけです。
そして、善人かとかまっとうな価値を生み出しているかとは関係なく、
うまくお金を集めた人が資本主義経済の勝者になっているわけです。
現実として、そうではありませんか?
ちなみに、お金集めに成功した資本主義経済の勝者が必ずしも幸福とは限らない
ということを付言します。

お金≠幸せ、となっている歪んだ社会は、金利が原因という気もしてきました。
アメリカのように、勝者がさらに強くなり、敗者はどうにもならないような
ピケティ観的世界を生み出すのも、金利が原因という気がしてきました。
仮にみんなに金融資産を分配したとしても、たとえば100人の社会で全員が
1億円の金融資産を持って、金利を当てにして暮したら、
誰も働かなくなるという恐ろしい事態に直面するでしょう。

やはり、エンデの言ってたことは、正しいのではないでしょうか。

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