トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定するらしい。
トランプさん、さすがにそれはマズすぎるのではないか?
そんなことは、アメリカが決めることじゃない。
エルサレムの大使館員とか、すぐ殺されちゃうんじゃないの?
とんでもない憎悪・波乱・テロ・不安定等々が、容易に想像できる。
エルサレムは、みんなの聖地で、不安定だ。
ユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も。
そもそも、キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教が大元なのだが。
でも色んな考え方や価値観や生き方が別れて、不安定だ。
聖地に何十億人も住めるわけないし、奪い合いになる。
聖地というのは、そういう、当然に波乱を起こす要素をもっている。
聖地をありがたく思うことは、偶像崇拝にはあたらないのだろうか?
ユダヤ教やイスラム教やプロテスタントは基本的に、偶像崇拝を厳しく禁じていると思う。
なぜなら、あっちのキリスト像やこっちのマリア像をそれぞれ拝みだすと
統一がはかれずみんなバラバラになるし、陶器やガラスのもろい像や、
間違えることがいくらでもある人間を拝むことは、危険で不安定だからだと思う。
しかし、エルサレムはみんな大事にするし、ムスリムはカーバ神殿に向かって拝みたおす。
結果的に聖地を巡って争いも起きている。
像と土地の本質的な違いは、安定度だろう。
像はすぐ壊れる。土地は壊れないが、長い目で見れば大陸移動して形が変わったり
消滅するだろう。でも人間にとっては、それはほぼ永久とも思える長さだ。
だから、土地は神に近くなる。壊れない⇒神聖さが増す。
土地はリアルで人間に不可欠だから、住みやすかったり、収穫高が大きかったり、
美しい場所だったりすると有難くて、神聖さが出てくるということもあろう。
でも、現代世界で、聖地をあまりに有難がるあまり戦争になるというのは、
そもそも、偶像崇拝と同じ害悪になっていないだろうか。
歴史があるのでそう簡単に変わらないことはよくわかる。
特に土地は、街のつくりが聖地を前提に作られている場合などは、
そう簡単に変えられないだろう。
東京も、皇居を中心に道路や線路や、色んなものが同心円状に広がっている。
天皇を拝む街の「形」にはなってしまっている。
仮に皇居がなくなったとして、そこに変なものを入れるわけにはいかない。
東京が変なものを拝む「形」になってしまうからだ。
土地を巡る人間の感情とは、厄介なものだ。