キリスト教の「主の祈り」の出だしはこう言っている。
天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
人類の神を讃えて、今は実現していない神の国が、
いつか実現することを祈っているようです。
今の社会は何がダメで、どういう状態が神の国の実現といえるのでしょうか。
ノートルダムの鐘のsomedayの歌詞は、こうあります。
someday
when we are wiser
when the worlds older
when we have learned
i pray
someday
life will be fairer
need will be rarer
and greed will not pay
これは、御国の到来を祈る歌詞ということなのでしょうか。
醜いせむし男を排除したり、
ジプシーを差別したり、
悪い欲望を燃え上がらせることが無い社会。
いつか私たちが成熟したらそういう神の国が実現する。
でも今はその状態には程遠い。
そういう意味なのでしょうか。
理性を持ちながら、動物のように過剰な欲望や邪心を捨て、
ただ生きることなど、人間に可能なのでしょうか。
とにかく禁断の実を食べた人間の理性は邪悪で、
動物の生き方が理想なのでしょうか。
宗教に批判的で、欲望を肯定する人は、
欲望が文明を発達させ、今日の人類の繁栄をもたらした、
時にはその過程で、マイノリティを排除してでも
効率的に突き進むことも必要だった、
と言うでしょう。
それに対しては、果たしてその繁栄は、幸せをもたらしているのか、
という問いがあります。
食べ過ぎて病気になり、自分たちが作り上げた建造物に押しつぶされ、
際限の無い欲望に苦しみ、成功者も罪の意識を抱える。
また、確かに近年人類は爆発的に数が増えていますが、
これは本当に繁栄といえるのでしょうか。
私は、感覚的に、この人間社会が、これから数千年続くとは思えません。
戦争なり、資源の枯渇なり、環境変化で、絶滅するのでしょう。
一番脆い種な気がするのです。
最大瞬間風速は強いけど、短期間で終わりました、みたいな。
少なくとも数百万年という単位ではまず生き残らない気がする。
とすると、存続期間で見た場合、何が繁栄なのか。
数千万年、数億年生きている種は、たくさんある。
細菌も、植物も、恐竜も。
つまり、繁栄の定義は難しい。
そして、個体で考えるのか、種で考えるのか、
はたまた地球上の生命単位で考えるのかにより、答えは異なる。
どれかが正解というものでもない。
結局、色んな感覚が入り混じり、
色んな生き方や考え方が交わり、
ただ、なるようになるだけ、
正解は何も無い。
ということか。