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もっちーのせかい

病気

私は高コレステロールと高尿酸値で病院に通っている。

今日も病院は患者で溢れかえり、非効率な動線でみんなやたら待っていた。

パッとみて怪我や、身体の異常がわかる人もいるが、大半は見た目は普通で、
一体どこがどう悪いんだろうと毎回思う。
でも病院にいるということは、何か自分で不快な症状を感じて来るか、
検査で異常値を指摘されて来るかということだ。

異常値=病気。
なんなんだろね、それ。なんの意味があるんだろう。病気って何なのさ。
I.Qが異常に高い人は病気とは言わない。
異様に低いと知的障害とか言われる。
身長が250センチぐらいあっても、病気とは言われない。
でも50センチぐらいだったら奇形とか障害とかやはり言われる。
コレステロール値が異様に高いと病気であり、
みんなと同じぐらいだと病気ではない。

そういった生物個体の形質、数値は、バラツキがある。
みんな全く同じで生まれるわけがない。
むしろそうならないために性別がありエラーがある。
全く同じもののコピーでいいなら、細胞分裂するウイルスやアメーバでいいはず。
そのバラツキが種を進化させてきた。

現代医療は、そのバラツキを否定している。
結果的にそういうことになっている。
たしかに、異常値だと早く死ぬのかもしれない。
けれども、思いがけないメリットもあるのかもしれない。
異常値を是正するということは、
バラツキによる思いがけない環境適応の可能性を否定し、
個体の長生きが絶対的な幸福と仮定してるということだ。
これは本当に正しいことなのか?
例えば種の繁栄が正しさの尺度だとして、
弱い個体を救済することや、
個体が長生きし続けることは、
正解なのだろうか。
弱い個体は淘汰され、個体は短いサイクルでどんどん世代交代した方が、
種としては繁栄するのではないか。
医療はそれを否定している。
種がさっさと滅んでいいとは思ってないとすると、
バラツキを肯定するダーウィン的進化よりは、
みんなで考えて、ロジックで進化しましょうと言ってるに等しいと思う。
さて、その結果はどうなるものか。
こう考えると、人間がちょっと高慢で、思い上がりも甚だしく、
そのうち天罰が下って滅びそうな気がする。
ロジックなんて、世界のどれほどを解き明かしているだろうか。と。
神の考えの、足元にもまったくおよんでいないだろうに、と。
基本的な方向性としては、そう思う。

ただ、医療が果たしている役割は、実際にどれほどのものか。
大してバラツキは是正されていない、気休めだ、という見方はある。
あくまでお守りなのだ。プラセボなのだ、と。
マクロ的にね。
実際ほとんど何もできていないけれど、いざとなったらどんなひとでも、
種の繁栄とか、効率性とか度外視して、全力で救済しようとします、
そういう姿勢を人々に示しているものなのかもしれない、という見方。
そういう心理的な支えが、健康な人を含めて、社会の安心になり、
効率や幸せに繋がっている、その信頼の元に、医者や研究者らの
心血を注いだ苦労がある、そういうことなのかもしれない。

だとすると問題は、一体どれぐらいのお金をそのお守りに使うのが適切なのかということだ。
40兆円は多いのか、少ないのか。
GDPの10パーセントというのは、多いのか少ないのか。
ある程度の額をつぎ込んで、一生懸命研究しているという事実が、
信頼を、プラセボを生み出していると考えると、
とにかく安くすればいいというわけではないのかもしれない。
お賽銭は、多少入れたいものなのだ。
ただし、それを盾に、研究者も、メーカーも、医療関係者が、
既得権を守るためだけに無駄を温存するのは、最悪だ。
しかし事実そうなっている部分はある。
それは結局、医療の信頼を低下させ、プラセボ効果を弱めることになる。


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