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もっちーのせかい

無知の知

ソクラテスがアテナイの街の人々と対話し、質問を繰り返す中で、
「この人はどうしてこんなに何もわかってないのに、
論理が完全でないのに、こんなに知ったかぶるんだろうなあ」
ときっと感じて、とりわけソフィストとの対話の中で、
「ああ、私は自分は知らないと知っているから、まだマシかもな」
と思ったのかなあ、と。

ソフィストって、詳しくはわからないけど、
自由市民の中で色々知っている知識人で、
人にものを「教えて」金をとっている人たちだった。
現代で言うコンサルタントとか、投資銀行家とか、
そういう感じかな。

そもそも、無知ってどういうことなのか。
動物は無知か。禁断の果実を食べる前のアダムとイブは無知か。
無知は良いことか。悪いことか。

人は、自分の知っていることは全部知っている。
そりゃそうだ。
でも、宇宙の全てを知っているわけではない。
当然だよね。
でも、一生懸命に考えに考えて、自分なりの世界の論理を構築して、
それなりに筋が通っているものが自分の中でできたと思う「知識人」が、
それで宇宙を理解したと勘違いしてしまうことは、よくあるのではないか。
特に何かの分野で「一流」で、実績を残した人は、他の分野のことも全て
同様で、自分は「わかっている」と思うことは、よくあることなんじゃないか。
それは、思い上がりだという、そういうことだろうか。
ちいさな自己満足は得られるのかもしれないが、
そういう態度はたぶん他人に好まれるものではないと思うし、
何より、自分がそれ以上伸びることができない。
探求を止めてしまっている。
謙虚であるということは、
同じ分量のことを知っている2者がいた場合、
「自分は十分知っている」と思う者は探求をやめ、
「自分はまだまだ知らない」と思う者は探求を続けるので、
結果的に後者の方が伸びるから、本人にも社会的にも望ましい、
そういうことではないだろうか。

つまり「無知の知」とは、「謙虚の美徳」と同じだと思う。

知が善か悪かは、よくわからない。
動物や植物が人間より幸せかもしれない。
だとしたら知は悪だ。
でも、知がなければ飢えたり、テクノロジーの発展は無かったりした。
そう、「欲」を肯定するなら、それを充足するためには知が必要なので、
欲望を満たすためという目的についていうならば、知は善だと思う。
では、人間の欲望をどんどん満たしていこうという方向性が正しいのかどうか。
これもよくわからない。
知があって悩むことも、不幸になることもたくさんあるだろうし、
自殺したり、戦争をまきおこしたり、資源を収奪しつくしたりして、
結局人類の滅亡を早めることにつながっているのかもしれない。

いやあ、人間って本当に「バカ」なのかもねえ。


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