僕はテラスハウスを最初からずっと見ていたので、木村花さんの自殺はショックでした。
自殺なんてすること無いのに、、ネットの投稿なんて気にしちゃだめだよ、、と思いました。
テラスハウスは打ち切りになるようですが、ずっと見ていた割には、そこはあまり残念な気持ちにはなりませんでした。やっぱり、ロクでもない番組になっちゃってたんだと思います。
最初の頃はよかったんです。
哲とかサーファーとか大樹とか、悩める若者が集まって夢に仕事に健全に向かっていく青春群像が、おしゃれな雰囲気で演出されていた。胸に響くものがあった。
でも回が進むにつれ、そういう爽やかさや、いい意味での本音のぶつかり合いが薄れ、自分が有名になったり遊ぶための踏み台としての場に変わっていき、それを邪魔する相手との妬み合いのような、悪い意味の喧嘩ばかり見られるようになった。出演者の幼稚さがどんどん増していった。
視聴者も、最初は爽やかな青春と恋愛を感じたかった人が多かったけれども、最近は他人の生活を覗き見る陰湿な楽しみや、悪い喧嘩を見て楽しむ陰湿さが多くなっていたんじゃないかな。
だからロクでもない番組となり下がり、ついには人が死んでしまった。
ネット・SNSでの誹謗中傷を憎む声や、対策を急ぐ声が大きい。
僕は基本的に意見は顕名で正々堂々と言うべきだと思うし、だからネットとか個人情報保護法とか特許とか、陰湿なスタンスのものが好きじゃない。
でも、時には匿名にする必要があるし、情報を守る必要があることも理解している。
匿名性があるからこそ、ネットに情報がたくさん出て、集まり、使える、という観点はあると思う。けど、匿名性があると、陰湿で悪しきものが集まるというのも事実だ。実際、ネットには汚い悪口や、悪い意味で刺激の強い画像・動画、人の醜い自己主張などがあふれている。
また、面と向かって言えないことでも、文書や画像等を介した間接的なコミュニケーションでは言えてしまうという側面もある。ネットはそれを引き出す。ネットやSNSは、これまで個人が思っていたことが見えるようになっただけ、という見方もあるが、それだけではなく、ネットだから過剰に出てしまっているということがるだろう。
果たしてそれは、良いことなのか。悪いことなのか。
面と向かって言えないことを、他人に伝える必要があるのだろうか。
でも、1対多とか、PtoPのコミュニケーションには役立つな。
とか、結局、ネットは良い点と悪い点が激しい強力なツールであり、使う者の英知が試されるツールであるということだ。
どれだけ規制してもネットの匿名性や攻撃性を消すことは難しいだろう。なぜならそれはネットの強みでもあるからだ。
どんなツールを介してでも、直接でも、人の悪口を言うことは、お互いに良い結果をもたらさないだろう。でも、それが社会からなかなかなくならないことも事実だ。誹謗中傷する人を、応援するつもりは全くない。
けど、「消えろ」とか「死ね」と言われたぐらいでいちいち気にしていたらきりがないし、テレビなど出れないとは思う。1億人もいたらいろんな人がいるのが事実なのだ。
木村花は、残念ながらそれがわからなかったのだろう。若者だから仕方ないのかもしれない。
というかそもそもネットはきっかけにすぎず、ずっと別の辛さを抱えて生きてきた結果だったのかもしれない。本当に自分をしっかり持って自己肯定していれば、他人の悪口など気にならないものだ。
しかしネットとの付き合い方は、現代人に突き付けられた難題だね。
しかしテラスハウスとか、ネットフリックスとかもそんな感じあるけど、悪い場所には悪い人が集まり、そこは滅びるということだね。ソドムとゴモラは滅亡したんだよ。