人が幸せに生きるために重要な大前提として、
人を、他人を、社会を、人類を、信じているかどうか、があると思う。
人は自分に批判的なのではないか。
この人は自分を攻撃してくるのではないか。
社会全体がおかしいのではないか。
それによって自分が苦しめられているのではないか。
自分が苦境に立った時、そういう思いが浮かんでくるものだ。
でも、よく考えると、疑っても良いことはひとつもない。
仮に相手が悪だったとして、
疑っても信じても、やっぱり悪だから攻撃される。
仮に相手が善だったとして、
疑ったらうまくいかず、信じればうまくいく。
つまり、相手がどうであれ、うまくいくためには信じるしかない。
幸せのためには、信じる一択しかない。
信じないと、病気になる。
ただ相手が明らかに悪であると思われる場合、
防御のために疑いを持つ必要があるのかもしれない。
でも、イエスは悪しき相手に対しても鞭打たれ、
磔にされ、相手のために祈って死んだ。
信じるとはそういうすごいことなのかな。
もうすぐクリスマスです。