損害が発生した場合、その損害・ダメージ・コストを、誰が負担するかという問題がある。
いきなり誰かに暴行されて、100万円の治療費がかかったとする。
加害者の「不法行為」を立証できれば、被害者は100万円を加害者に損害賠償請求できる。
しかし、加害者が無資力であれば、請求したところで被害者は何も救済されない。
そこで保険というものがある。被害者が被害にそなえて損害保険に加入していれば、
自分のその損害保険を使って100万円を保険会社からもらえる。
保険による救済だ。
保険会社は加害者への求償権を得るが、保険会社が請求したところで取れないものは
取れないのだから、結局暴行により発生した社会的なコスト100万円は、
どうしたって社会的には回復し得ない。
また、加害者が責任保険に加入するという方法もある。
100万円の損害を相手に与えてしまった場合、その責任保険を使って、
保険会社から被害者に100万円を払ってもらう。
これも保険による救済だ。
民間の保険ではなく、社会保障でいいじゃないかという考えもある。
100万円の損害に備えて税金をプールして、暴行が発生したら被害者にその資金から
100万円を払うというものだ。
しかし、これはモラルハザードが大きい。
どこでどんな損害が発生したって、社会保障により救済されるんだから、
加害者も被害者もあまり気をつけなくなる。
これは良くないことだろう。
だから、モラルハザードを回避・低減するために、
保険に救済がゆだねられることが多い、と言われる。
責任も被害も全部カバーするわけではなく一部加害者・被害者に負担させたり、
リスクが高い人は保険料が上がったり、保険料を負担しないように、
また負担割合を小さくするように資力を確保しようとする。というわけだ。
でもそれって、本当に民間の保険会社じゃないとできないのだろうか。
社会保障だって、そういう設計にすれば良いだけの話ではないか。
また、保険会社が責任保険と損害保険の両方を展開することで、
社会としては重複した保険となり、無駄になっている。
例えば、10人の社会で、事故(発生時の損害を100とする)に備えて
保険に加入するとする。
加害者になってしまう場合を想定して、ひとりあたり10の保険料で責任保険に
みんな加入して、10×10=100のお金が集まる。
また、被害者になる場合を想定して、ひとりあたり10の保険料で損害保険に
みんな加入して、10×10=100のお金が集まる。
実際、事故が発生したときに必要な救済は100だから、
100のお金は無駄になる。保険会社に必要以上のお金が集まっていることになる。
つまり、保険会社って無駄に「おいしい」構造になっている、歪んでる、のではないか。
しかし、とにかく、被害を経済的に事後に補償したところで、
誰が負担を負ったところで、発生したダメージで被害者は痛かったり、苦しかったり、
辛かったりするわけだ。加害者も、辛かったり、苦しかったからそうなっちゃったりする。
だから、そもそもそういう不法行為が起きないような社会をめざすというのが、
何より大事だと思う。