最近、予防医療という言葉が流行っているようだ。
どういう意味で言っているのか、文脈によるが、基本的に浅はかな話だ。
生活習慣病予防という意味で予防医療と言っている場合、
もっと運動したほうが良いとか、バランスの良い腹八分目の食事が良いとか、
ソリューションとしてはわかりきったことを言われるだけだろう。
ビッグデータという言葉も流行だが、いくらたくさんデータを集めたって
魔法があるわけではなく、結論は同じだろう。
そこにいちいちコストをかけることに、本質的な意味はない。
そんなことは、言われなくてもみんなわかってることなのだ。
ドラッグに依存している人は、ドラッグが体に良いと思ってやっているわけではない。
そういう依存してしまう原因、よくない生活習慣になってしまう根本原因があるのだ。
それはその人の人生そのものであり、AIやらビッグデータやらで解決できる類のものではない。
そういう話にみんなが気付いたとき、そもそも「病気」ってなんなんだ?
という根本的な話になるはずだ。
人の生活習慣を変える、人生をアドバイスする、というとき、
生き方の善悪の話にならざるを得ないからだ。
なぜ長生きが善なのか?
コレステロールや血圧や尿酸値が高いことにメリットはないのか?
純粋に「医療費の抑制」という観点からは一定の解があるのかもしれないが、
そのために人間の生き方を国が定めることは、善なのだろうか。
たとえば、デブは悪として根絶やしにした場合、
厳しい寒さが訪れ、食糧難になったとき、デブだったら生き残れたところ、
政策的にみんな細身になっていたために、絶滅するというシナリオがあり得る。
要は、何が生き残るかはnatural selection(自然淘汰)であり、
人間の浅はかなロジックでそれは解明できないのではないかということだ。
少なくとも今はまだ全然。
今の文脈では、医療は進化を否定している(異常値を許さない)ということだ。
多様性を許さない。自然淘汰によるセレクションが起こらない。全か無かになる。
ハイリスク・ハイリターンとも言える。
それ自体が悪であるともいえない。
ただ、そういう話なのだということを、わかって議論してほしい。
やはり現代社会はロジック・合理性に偏りすぎている。
人間社会の物質的な繁栄を誇るあまり、傲慢になっている。
自分たちの理解している世界、ロジックの通じる世界なんて、
宇宙のミクロであることを改めて認識し、謙虚になるべきときではなかろうか。