去年の今頃、筑波大学の社会人向けロースクールを受けた。
いまだに怒りが湧き上がるのは、面接での想像を遥かに超える愚問の数々だ。
「ロースクール通学に家族の理解は得られていますか?」
既婚であることが前提のこの質問。法曹の入り口が、こんな決めつけをしてくる。
社会人が田舎の親の了解が必要というなら、尚更おかしい。
LGBTの結婚制度に賛成か反対かというテーマの口頭試問があったが、
一応反対の趣旨の私の回答に、
「この多様性の時代に、、、?」
とのコメント。多様性って何なのか。今は多様性の時代なのか。
そういう議論をするならともかく、明らかに「今は多様性の時代」と決めつけたコメントで、
法曹、というか現代教養人としての資質をこっちが疑った。
また、わたしは何度か転職歴があったのだが、その理由について説明したところ、
「一応筋は通ってるんですね」
とのコメント。まず、失礼極まりない言い方であるし、
明らかに転職はマイナスという考えが前提としてある言い方だった。
これも、間違った思い込みのスタンスだ。
また、去年の今頃はコロナも一応終息し、緊急事態宣言はおろか、
何事も「通常」となっていた状況だが、当日の黒板にも実質的にマスク着用を
当然とするかのような指示が書いてあり、愕然とした。
法曹、弁護士は、フェアネスが最重要だと思う。
多数派の専制が脅威の現代日本で、マイノリティの人権をどう守るか、
それが仕事内容そのものではないのか?
その入り口を担うロースクールの面接で、そのマイノリティ擁護とは真逆の行為が
堂々と何ら恥じることなく行われている。
ロースクールは、法曹界は、この国はどうなっているんだ?と、心から疑問に思った。
まああくまでロースクールは文科省の配下であり、
文科省は政府そのものであるから、人権擁護よりも経済的政策スタンスに寄ってしまうという、
構造的政治的な問題もあるのかもしれない。
いずれにせよ、事実としてロースクールは腐ってる。
少なくとも私が経験した筑波ロースクールは。
大体、実務で使える人材を養成しようとするのに、
学問しかしてない大学にその養成を任せるというのは、間違ってる。
ロースクールは、日本の問題、恥部の一つだと思う。
私はあの忌々しい体験を忘れない。