2016年元旦LK、行ってまいりました。
サバンナの初日の出は燦々と光り輝いていました。
やっぱり劇団四季の舞台はすごいパワーがある。
そして心がきれいになる。カタルシス。
素直な気持ちをあぶりだしてくれる。
同じ演目でも、観るたびに違う気付きや景色を与えてくれる。
舞台は嗜好品ではなく、必需品だと思う。
少なくとも私にとっては。
因みにラフィキは安定の金原さん、
江畑ナラはじめて観たけど、すごいパワーだった。
南シンバもパワーと安定感増してる。
でも全体的にはちょっとミス多かった?演出変えただけ?
浅利慶太が去って丸一年が経ったか。内情が気になります。
これからの時代、心の救いが求められると思うので、
四季には今こそもっともっと活躍してほしいのです。
さて、今日観劇してて改めて思ったのは、
王様(統治者、リーダー)の資質について。
スカーは何がダメで、ムファサは何が良いのか。
スカーは、みんなを馬鹿にしている。ハイエナたちを、
コケにして、利用することばかり考えている。
そしてあのマスゲーム。笑
どこかの国といっしょじゃないか。
いや、どこかの北の国だけじゃない。
スカーみたいな人、割とたくさんいる。
周囲を、部下を、子供を、民衆を、パートナーを、みんなを、
馬鹿にして、支配しようとする人。
残念ながら、そういう人がトップである組織・家庭は、
うまくいってないと思う。
シャドウランドになっちゃってる。はず。
ムファサは、フェアで、そして愛があると思う。
当たり前のように思えるけど、
実はその両方があるリーダーって、少ないように思う。
いる?周りに、そういう人。特に日本には少ないと思う。残念ながら。
ムファサが死んだとき、本当に悲しいし、喪失感をかんじる。
みんなにとって素晴らしいリーダーを失った。みんなの損失だ。
そう感じる。
いなくなって、そう感じさせるほどのリーダーや、親が、
日本にどれほどいようか。
フェアネスというのは、結局バランス感覚なんだと思う。
ムファサはバランスがいい。だからムファサのマスクはまんまるい。
スカーのマスクは、傷ついてひんまがってる。歪んでる。
(もっというと、スカーが傷ついてるのはスカーの責任ではなくて、
結局社会のひずみがそこにあらわれてるだけだったりするので、
スカーだって辛いので、あんまり責めるのもかわいそうなのだが、
この話はまた別途。)
そしてもうひとつ思ったのは、やっぱリーダーって、
「偉い」わけでもなんでもなく、単に役割分担のひとつに過ぎないってこと。
ライオンは「リーダー」の役割。ザズーは秘書の役割。
シマウマにはシマウマの役割、レイヨウにはレイヨウの役割。
どれが欠けてもサークルオブライフは成立しないんでしょ?
上下関係じゃない。
会社も、家族も、同じ話だと思うんだけどな。
みんなそれぞれが、個性を最大限発揮して、輝いて、
多様で独立だけど、リーダーがうまくまとめ役になる。
そういう集団が、ものすごく強いんだと思う。
それがダイバーシティの意味で、
欧米を中心に、強い企業はそういうことがわかってるんじゃないかなあ。
グーグルとか。
アジアはどうもそういうのに疎くて、
独裁者と兵隊、的な組織ばっかで、独裁者の倫理に全てが委ねられている、
ってケースが多いと思う。
それってさあ、ただ頑張れば伸びる、というフェーズではいいかもしれないけど、
今の混沌とした飽和した時代で、何が何だかわからなくて、
それぞれがそれぞれで、って時代では、とっても弱いし、
みんな不幸になるし、破たんするシステムだと思うんだよね、やっぱ。
どうしても。
アジア人のマジョリティは怠け者なんです、弱いんです、
考えるのが苦手なんです、とか言ってる場合じゃないと。
滅びるのと、痛みを感じてでも早めに自立させるのと、
どっちがいいかって話だよ。
興奮した。。。
そんな風に思った今日の浜松町でした。