ミャンマーのドキュメンタリーをテレビで放送していた。
まさにこれから発展する国といった感じ。
ベトナム に行った時も感じたけど、
日本の高度成長期の雰囲気というか、
タイムスリップしたみたいな感覚になる。
不思議な感覚だ。
学校で一生懸命講義を受けて、
医者やエンジニアを養成して、国づくりを支えるという若者たち。
そうだよね、高度成長期って、そういう意味で学校での勉強とか、
学歴とか大事だよね、と納得する。
まず先進国に追いつくために、模倣する、
既存のノウハウをとにかくインプットする、みたいな。
同時に、先進国になったら、今の日本だけど、
もうそういうお勉強だけが大事なわけじゃないよね、やっぱり、と思う。
軍隊みたいな規律や学歴主義、ストイックさじゃなくて、
一人一人の自由とか、価値観とか、エシックスとか、生き方とか、
そういうことが大事なフェーズなはずで、
なのにいつまで高度成長期の体制を温存してるんだろうと、改めて思う。
ミャンマーの人たちは、大きな岩を信仰していた。
山にバランスよくギリギリのところで巨岩があり、
みんな金箔を貼って願掛けしている。
まあ軽薄な偶像崇拝というか、
よくまあそんなものに一生懸命お祈りできるよな、と思った。
これは日本も同じ。
お祈りの対象はたくさんあって、なんでもいいのだ。
信仰とは違う。
色んなものに依存してるという感じ。
お上や、神社や、お寺や、あっちの岩や、こっちの大木に、
色々とおねがいをするのだ。
それは、ユダヤやキリストの信仰とはまるで意味が違うのだ。
どうして多神教というか、アジアってそうなるのか。
大して何も考えなくても食べ物がたくさんとれて生きていけるからかな。
だからなんだっていいのだ。
頭悪くて幼稚だけど腹はいっぱい、子沢山、みたいな。
どうなのかね、それ。ちょっと嫌だよ、俺は。
なんか地の利で食えるけど何も考えず、、、って、産油国と同じだよ。
どうなんだろね。ほんと。。