世の中何にだって多数派と少数派がある。
半々のこともあるだろうけど、これだけ人口が大きくなると、
全員の意見がぴったり一致することなんてありえない。
きのこの山派もいればマスタード派もいる。
みんなそれぞれ、色んな切り口や事柄について、
自分がマジョリティだったり、マイノリティだったりする。
まあそんなことは僕がここで書くまでもなく当たり前なのですが、
最近やっぱり問題だと思うのは、そのマジョリティとマイノリティの対立が
深くなって、きな臭くなっている、ということ。
お互いの憎悪、嫌悪、が拡大してませんかね?
どっちの意見も成立することだったら、喜んで迷いなくそうすればいい。
彼がカツ丼を食べたくて、彼女がパスタを食べたいなら、
それは両立も可能ではある。
場所とか、予算とか、色々課題はあるかもしれないけど。
でも、多くの事柄、揉め事は、こっちを成立させたらあっちが成立しない
ということだから、揉める。両立しない。
だから、落とし所を探るしかない。
極端な思考実験はわかりやすいのであえて書くと、
100人の社会で、ある1人が99人を気に入らないから全員殺したいと思ったとしても、
それは成立しない願いだろう。そしてその1人は排除される。
最終的には、力のある多数派が勝つ。
だから、マイノリティは、怖いのだ。基本的に、本質的に。
実力で言ったら、マジョリティに征服され、強制されて、
自分たちの願いが何も叶わない可能性が常にある。
それにいつも怯えている。
さてそこで大事だと思うのは、
マジョリティはマイノリティを怯えさせて、無理強いして、
排除しても、きっと幸せじゃないだろう、ということ。
生きるか死ぬかではない、趣味程度の話なら、いくらでも落とし所はあるだろう。
マイノリティを従わせて不幸にして、楽しいはずがない。
また、違った立場から意見をもらうことで、
自分たちの気づかなかった側面を発見して、
より良い方向性が見つかることもあるだろう。
自分の顔は自分では見えない。
簡単なことでも、自分だけでは意外と気づけないのだ。
また、マイノリティは、自分たちの孤独と苦しみが、
マジョリティにとって大切な気づきを与えられることを、
幸せに思えるはずだ。たくさんの人が、自分の存在で幸せになったとしたら、
それは間違いなく幸せなことであるはずだから。
だから結局、お互いに認め合い、
冷静に、意見を交わす、コミュニケーションをするしかない。
と思う。