桂歌丸がアキラ100%の裸芸を批判しているらしい。
別に僕はアキラ100%はどっちでもいいけど、
彼は噺家じゃないわけだし、それで笑う人がいるならまあ別にアリじゃん?と思う。
もっと低俗なエンタメは他にも山ほどある。
しかし、日本の「お笑い」は、これから厳しいと思う。
なぜなら、お笑いって、笑いって、ギャップだと思うから。
「常識」と「非常識」のギャップ。
「マジョリティ」と「マイノリティ」のギャップ。
村社会の統一感が強いほど、その常識から外れたものが強い笑いとなる。
今後は若い人を中心に価値観が多様化していって、
同じものを見て、「いったい何が面白いの?」「全然笑えないんだけど」
ということが増えていくと思う。
例えば、むかしはみんなでとんねるずの「ホモ男」とかで笑い転げてた。
今の社会では全然笑えない。てかヤバい社会問題になる。
さんまとか大御所の笑いだって、かなり怪しくなってると思う。
例えば、ブサイクな女性やデブな女性にあだ名をつけて笑いにするが、
不快に感じる人も多いのではないか。
要は、いじめと構造が同じなのだ。
日本の「お笑い」は、一歩間違えると「いじめ」になる。
お笑い大国ということは、村社会から外れたはみ出し者を許さない社会ということだ。
あまり誇れることじゃないと思う。
ダイバーシティが進んだ地域でそういう強いお笑いがないのは、
日本のようなみんなの価値観が同じ重複領域が少ないからなのだ。
お笑いレベルが低いとか、そういう話ではないのだ。
だから、欧米とか、そういう地域では、滑って転んだとか、
ケーキが顔についたとか、そういうレベルの低い、
しかし誰でもそれはまあ共通して笑える、
ということが笑いになるのだと思う。
アキラ100%の登場も、そういう日本の価値観の多様化による
お笑いの変化を表しているのかもしれない。