人を愛することは、自立が前提とえらそうに書いた。
自立とは、何にも依存していないことだよね。
さて、何にも依存していない状態って、どういう状態なんだろうか。
それは、本当に可能なんだろうか。
親に依存している人。たくさんいる。
いつまでも実家に住んで、家事は親まかせ、
仕事も実家住まいがなければ成り立たない程度の収入で(つまりシュミだな)
結婚相手まで親に許可を得て、反対されれば従う始末。
日本的価値観(世間体)に依存する人ばかり。
努力、感謝、親孝行、挨拶、従順、和、安定、安心、安全の強制。
逆に、米国的価値観に傾倒しすぎる人。
合理主義、勝ち負け、欲望、成功、金、フェアネス、ストイック、
投資銀行、コンサル、IT、ベンチャー、英語。
パートナー(恋人、配偶者)に依存する人。
妻を怒鳴りつけて、DVして、でもいなくなると寂しくて狂っちゃう夫。
恋人がメール返してくれないと寂しくて発狂する人、
そして嫌になって別れを切り出されると怒ってストーカーになったり、
リベンジポルノしたりする人。
薬や、アルコールや、ギャンブルや、性欲に依存する人。
快楽物質を追求するという意味で、同じくくり。
まあ恋愛もそうだけどね。
宗教。
何かを盲信して、家族や仕事や人生を犠牲にして捧げてしまうとか、
殺人とかテロに走ってしまうとか、いきすぎの宗教は、
信仰ではなくて、「神」(信仰対象)への依存だと思う。
なつかしのオ○ムとかね。
他にも、依存の対象はたくさん、なんでもあると思う。
音楽、思い出、有名人、会社、社長、映画、本、食事、
買い物、オナニー、ゲーム、ペット、仕事、趣味、等等々。。
それら全部に、一切依存していないって、どういうことなのかなあ。
依存してないけど、神を信じてるって、どういうことなのかなあ。
とにかく程度が甚だしい、やりすぎなのが「依存」ってことで、
やっぱりバランスの問題、ってことなのかなあ。
なんかいつも同じ結論だな。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
フロムが著書「愛するということ」の中で散々言ってることだと思うけど、
人を愛することは、お互い自立していることが前提だと思う。
そして、まず何より自分を大切にしていることも前提だと思う。
「汝を愛するように、汝の隣人を愛せ」
つまり、依存ってのは異常な関係だってこと。長続きしないし、
お互い本当に幸せにはなれない。
自立してる一方に、一方が依存していたら、自立している方は
いずれ去っていくだろうし、依存していた方は支えがなくなり倒れてしまう。
それで病気になったり、相手を逆恨みしてストーカーになったり殺したりしちゃう。
全然愛してないよね。愛じゃない。依存。甘え。
お互い依存ってのも、ちょっとしたことで崩れてうまくいかないんだと思う。
あと、それ(共依存?)に似てるけど、支配と被支配、サドとマゾっていうのかな、
それも異常だし、長続きしないと思う。
ナチスみたいな独裁国家とか、主人と奴隷とか、女王様と変態おじさんとか、
北朝鮮とか、日本とか。おっと。
だから、昭和的な、儒教的な?、価値観の家庭像とか夫婦像とかって、
やっぱ異常だと思う。間違ってると思う。
「娘さんを絶対幸せにします」
「私に下さい」
「結婚をお許し下さい」
「主人」「未亡人」
こういうワード、けっこう問題じゃない?
人が一方的に他人を幸せにしてあげる、なんて、できっこない。
ペットじゃないんだから。
下さいって、モノじゃないんだから。
親の許しなんていらないし。
そりゃあ、祝福してもらった方が、嬉しいけどね。
必要条件ではないんだよ。
自立してるなら、自分たちが決めることなんだから。
旦那が「主人」だったら、妻は「サブ」なんですか?おまけ?いやいや。
「未だ亡くならざる人」って、どゆこと?メインが死んだらサブはすぐ死ね?(死ぬ?)
おかしいでしょ。
なんか、今の若い世代も、男女ともに、そういう異常な価値観がしみこんでて、
でも本質的・現実的に今の社会と合わなくて、晩婚・未婚化したり、
うまくいかなくなってる気がする。
けっこうな数の女性が、旦那に養ってもらって、幸せにしてもらって、
仕事も趣味も好き放題やらせてもらって、
ってのが結婚でしょ?って、思ってて、そういう子ほど結婚できない。
昭和な守られ感を当然と思いつつ、でも家事や子育てをするわけでもなく、
仕事も遊びも好きにやりたい、と。
いい加減にせい。
どこが愛だ。
そこに愛はあるのかい。
日本ほんとうにやばい。