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もっちーのせかい

遺伝とかコピーのエラーとか進化とか癌とか

生物が子をつくるとき、全ての遺伝情報が完全にコピーされるのではなく、
一部にエラーが起きる。無数の個体がいるとすれば、
多様なエラーが引き起こす個体差の中で、結果的に繁殖に都合のいい形質というのが、
出てくる。無数にというのが大事だ。
そして、世代交代を長期にわたって繰り返すと、最初に比べると物凄く差がついて、
最初の遺伝情報を完全コピーした個体がその場に存在しても、
生存競争の中で太刀打ちできなくなる。長期にわたって、というのが大事だ。

本当に興味深い。
「エラー」って、ない方がいいと思いがちだけど、
無数で長期の試行を考えると、むしろ完全よりは不完全が繁栄に適しているなんて。

とすると、「ずっと永遠に変わらない」、というのは、幻想だろうか。
ever just the same
永遠の愛
伝統を永続させる
不老不死
会社の永久存続

無数の個体が長期に変化することで、「種」として繁栄することと、
「個」の繁栄とは、全然違うことなのか。
個としては、コピーのエラーは免疫により排除される。
しかし高齢になると、免疫が弱って、エラーの増殖を抑えられず、
癌となって死ぬ。これは何を意味するのか。
個としては変化できないし、ずっと生き残られても困るということだろうな。
少なくとも生物的には。種としては。
種の繁栄の仕組みとしては、なるべくたくさんの個体を、なるべく多くの世代交代で
どんどんまわしたいんだから、種の性質とか環境とか子育て能力とか色々
考慮したうえで最大数の子を産み育て、生み育ったらさっさと親は死ぬ、
というのがベストだろう。

でも、社会的な人間個人としては、違うところがある。
不死とはいわなくとも、ずっと生きたいとか、がんを治したいとか、
種の繁栄システムに反する行動をとりたがる。
種じゃなくて、個体として繁栄したいという想いがある。
それは、個体を、会社や、伝統や、愛とか、ライフスタイルとかに置き換えてもいい。
なぜそうなるのか。

個体や会社がずっと同じまま存続することは繁栄のシステムからすると望ましくない。
個体や会社は変われない。
でも、子育てが終わる前に死んだり、プロジェクトが終わる前に空中分解しても困るから、
個体の存続もある程度は必要なはずだ。ある程度ね。
そのバランス感覚。
精一杯生きること、パートナーをみつけて子を残し、育てること、
役割を終えたら死ぬということ。
種としては、個にはそれぞれでこういう道をとってほしい。
個としてそれとは異なる自分の繁栄を望む人もいるだろうけど、
なかなか種の中でうまくいかないだろうし、うまくいっても種の滅亡を早めるだろう。
うまくいかない理由は、結局個としての幸せが他者との関係にあるとすれば、
マジョリティが種の存続を願って行動するなかでは、孤立するからだ。
その種としてのベスト、それを、神とよんでいるのだろう。

ただ、個体としての繁栄を理論的に否定することなんてできない。
種がどうした、神がどうした、俺は生きたい、と言われれば、それまでだ。
ただ、その個体が幸せになれる確率が低いということだ。

さて、こう考えると、会社はどうか。
会社は人間ではないから、絶対変われないということはない。
でも、一度出来上がった企業は、なかなか変われない。
だから、いまある企業をずっと温存しよう、と政策的にすることの意味がわからない。
短期的な目線でしかない。為政者と企業の。
あるべき姿は、たくさんの企業が新たに生まれ、既存の大企業よりも
素敵な価値を生み出したなら、その大企業は淘汰される、という健全な競争だろう。
それを阻む為政者と企業は、退場してもらうべきだろう。
まあ、長い目で見ればそういうことをしている国は淘汰される、
という意味では、国同士でnatural selectionが働いてるからいいのかな、という気もする。
ただ、個人としては、負けるとわかっている組織にはいたくない。

長期的にみて負けるとわかっている会社。国。
変えることが難しいのであれば、移籍するしかない。


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