昨夜、テレビでさんまと東大生の番組をやっていて、
フジテレビだし、どうせ偏向的なんだろうと思いつつ、
なんか東大感が懐かしくて観てしまった。
まず、「変なキャラ」の人は、東大だからというわけではなく、
一定の確率でどこにでもいるだろう。
東大は毎年3000人以上入学するんだから、100人にひとりの変人が
30人以上いる。一学年で。
慶応とか日大だって、探せばああいうキャラはもっといるはずだ。
そして、彼らはまだ未熟な、20歳前後の学生だ。
成長すれば誰だって変わる。
ということで、あの「変な感じ」が世の東大生・東大卒のスタンダードだと
思ったら大間違い。
まあいまだにそんなイメージもってる人は、まともな人ではあまりいないとは思うが、
一応説明しておく。フジに洗脳されないように。
ただ、彼らを見てて、また自分や周囲を思い返して、
やっぱり東大生に概ね共通なものは、
ストイックで負けず嫌いで非凡なものを好む人種ということだ。
つまり、偏っている人間。
バランスの良い、幸せな人種ではない。
私は最近、常々思う。
幸せは、バランスにあり、人間関係にある、相対的なものだと。
何かを徹底的に追求し、極める、絶対的なものにあまり幸せは無いと。
投資銀行。戦略コンサル。海外弁護士資格。MBA。医師。研究者。
昼夜を問わずストイックに仕事に打ち込む彼らは、
自分たちが幸せだと感じているとはあまり思えない。
少なくとも私と、私の周囲はそうではなかった。
そして、本当に彼らは社会に賞賛されているのだろうか。
賞賛に値する価値を生み出しているのだろうか。
たとえば、誰かを形式的なアドバイザーに起用しようとしている
M&A案件獲得のために、各業者がピッチブックの厚さとクオリティを
競って各社徹夜する「頑張り」は、一体だれのためになっているのだろうか。
そこまでする必要があるのだろうか。
みんながピッチブックづくりは18時まで、と決めれば、WIN-WINになるのだ。
大事なのはエクセキューションであるはずだ。
電通とか他の会社だって、残業の原因はそういう無意味なレースなのではないか。
それをわかってて、止められない彼ら。自分もまだまだ。
高度成長期ならまだしも、現代日本で何をそんなに頑張ることがあるのか。
みんな、する必要がないのに、すべきだと一生懸命主張して、
ストイックのやり場を必死で探して、そして高給はもらい、
退屈はしないのかもしれないが、意味のない穴掘りを続けている。
苦しさと無意味さを心に抱えながら。
なんなんだろう、この虚しさは。狂ってる。
そろそろ日本は、そこを脱出できないのだろうか。
ストイック病。本質を何も考えない病。
東大、医師や弁護士といった資格礼讃、スポーツ選手称賛、
体育会系、強力な上下関係(政府、会社、家)、、、
もう、全部根っこは同じだ。