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もっちーのせかい

ライ麦畑でつかまえて からの小説考

初めて読みました、「ライ麦畑でつかまえて」(J.D.サリンジャー:野崎孝訳)。
タイトルはずっと昔から聞いたことありました。
勝手なイメージで、田舎の若い男女の健全な恋愛小説だと思ってました。
ライ麦畑で「ウフフ」「アハハ」って、追っかけっこする、みたいな。

全っ然違いましたね。。。
大都会ニューヨークをさまよう悩める青年ホールデンの話でした。。。

辛くて孤独で苦しくて、暗い内容。
でも共感できることばかりでした。
でも昔だったら、この暗い内容に引きずられてどんより落ち込んだ気持ちになっていたかも、
と思いました。今は、自分が自立して、自分を肯定して、自分の生き方をし始めることが
できてきたから、そうはならなかったのかもしれません。

でも、読み終えて、そこまで爽快感があるものでもなかった。
こういう作品が存在して、これに共感する人がたくさんいることを知って、
自分が共感したその感覚や想いは、自分だけのものじゃなかったんだな、
みんな感じることなんだな、と確認することはできた。
読みやすかったし色々考えたけど、エンタメとしてワクワクするものでもないし、
だったら音楽や映像がついてる映画や演劇の方がいい。
しかも小説はフィクションで、ビジネス書や論文のように情報収集するものでもない。
どうしても、「で?」「So, What?」感がある。
なんのために読んだのだろう。
読むとどんないいことがあるのだろう。
小説の効用って何なんだろう。

フィクションのドラマ、という意味では、
小説もテレビドラマも映画も演劇も同じだ。
本か、動画か、ライブかの違いだ。
なんとなくだけど、カタルシスの強さは、
ライブ>動画>本
な気がする。
だから今まで小説ってほとんど読まなかった。
本は専ら、情報収集のためのものだった。
ビジネス書とか、論文とか、解説書とか。名前は何でもいいが。
それらで文字はお腹いっぱいだから、エンタメぐらいは映像と音が勝手に入ってくる
映画や演劇が良かった。そう思ってる人、多いんじゃないかな。
でも、小説は文字を自分で能動的に読み解かなければいけない分、
動画やライブのような受動的で映像音声付のドラマとは、
脳の使い方が明らかに違うはずだ。
また、心理描写は小説の方がうまくできるはずだ。
その辺に小説の効用のヒントがある気がする。

作り手としては、小説の力は大きい。
ひとりで文章を書くだけでつくれる。インターネットもあるから、
本当に良い作品なら普及もあっという間だ。
演劇や映画はひとりではつくれないし、莫大な費用もかかる。
小説は安い割に読むのに時間がかかるから、
低成長かつヒマな時代に突入する現代人には、
ピッタリな媒体かもしれない。


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