BSのドキュメンタリーで、フランスのイスラム教徒の現状を放送していた。
フランスにイスラム教徒は10%程度。
テロの後は、イスラム排斥の動きがフランス国内で強まり、
政府もイスラム排斥を訴える保守的政党が躍進しているようだ。
どこかの大国の某トランプ氏みたいだな。
フランスの中のイスラム教徒にとって、
試練のときのようだ。
その中で、イスラム教とキリスト教(非イスラム)の歩み寄りを
模索するイスラムの人々が映し出されていた。
「イスラム教とキリスト教の対立は、文明の対立ではない。無知の対立だ。」
「イスラム教とキリスト教は別々に暮らせばいいという人もいるけど、違うと思う。」
僕もそう思った。
イスラムはフランスのマイノリティ。
マジョリティがマイノリティを排除しようとしている。
権利を侵害しようとしている。
でもやっぱり、分離したところで、結局は溝が深まり、対立は強まり、
いずれもっと大きな衝突を生むのだと思う。
そうならなかったとしても、一緒に暮らして、お互いを知り合い、
ちゃんと意見をフラットにかわし、良い社会を一緒に作っていこうと歩み寄れば、
もっともっと幸せな社会になり得ると思う。それが多様性・ダイバーシティということだ。
「テロを起こしたのはイスラム教徒⇒イスラム教徒は危険な人⇒イスラム教徒は排斥すべき」
というのは、明らかに論理が飛躍している。思い込み。決めつけ。これを「差別」という。
一時的な感情というのはあるだろう。
だから、しばらく距離を置くとか、そういうことは必要な時があると思う。人間同士。
でも、感情が落ち着いたら冷静に意見を交わした方がいい。
色んな人が色んな意見を持ってていい。
それは善悪ではなくて、それぞれの価値観なんだから。
みんな他人を傷つけようと思って生きているわけではなくて、
みんながそれぞれに自由に幸せを求めているだけなんだから。
僕も、そういう風にできていなかったところがあった。
でもそれは間違ってた。意見が違う人を排斥したり、叩きのめすのは間違ってる。
何度も言うけど、多様な意見を、価値観を尊重して、ディスカッションできる組織・社会が
本当に強い、幸せになる、勝ち残る社会なんだと思う。
今の日本が、伝統的な、家父長的な、体育会的な、オールドエコノミーな、
マジョリティの価値観しか認めないのであれば、いずれ滅びるでしょう。
その本質は、イスラムを排斥するフランス政府と同じだ。
さて、そういう社会・組織に自分がいる場合、どうしたらいいのか。
マイノリティとして。
懸命に声をあげつづけて、それに対する反応が返ってきて、
建設的な議論が回り始めれば、こんなにいいことはない。
でも、そうならない場合。
自分の声の内容が、間違っている可能性。
でも、それならそれで、何がどう間違ってるのか、反応してくれないと困る。
正しい意見だけど、マジョリティが頑固で聞く耳を持たない場合。それも困る。
そうはいっても地球は広いから、本当にダメな社会・組織なら、
離れた方がいいと思う。そしていずれその社会・組織は滅びるでしょう。
繁栄をつづけたら、自分が間違ってたってことになるのかな。