私は自分が日本社会における「マイノリティ」だと思ってる。
そしてマイノリティは苦しい。悔しい。辛い。怒りが大きい。生きにくい。
日本のマジョリティが「善」として絶賛する生き方は、
小学校から大学まで「優秀な」成績で卒業して、
運動部でもインターハイでキャプテンとして活躍し、
先輩や親の言うことを「ハイ!」と大きくさわやかな返事でよく聞き、
東京大学を卒業して新卒で大企業に就職し、
営業や海外やいろんな部署を経験して、
結婚して子供ができて、課長になって、
部長になって、役員になって、
退職して退職金と年金で夫婦で悠々自適の老後を過ごして
孫の顔をみて自宅の畳で静かに死ぬ。ってところ。
それは否定しないよ。
個人としてそうしたいならそうすればいい。それを目指せばいい。
それは自由だ。
でも、社会の仕組み・制度がそういう価値観しか許さないってのは、
絶対に間違ってる。
マジョリティがそういう生き方をしてる一方、苦しんでるマイノリティが一杯いる。
上記のマジョリティの生き方が称賛されるということは、
そこに人も金も仕事も集まるってこと。
マイノリティは、金もないし、仕事もないし、女もとられ、結婚もできず、
子供も持てず、友達も少なく、孤独だ。
というのが一般化した見解。
さて果たして本当にそうかな。そして、マイノリティはどう生きればいいのかな。
マイノリティは、本当に不遇で、辛いだけで、淘汰されゆくものなのか。
なんでマイノリティがいるのか。マイノリティの価値は、強みはなんなのか。
ちょっとまてよ。いやいや。
マイノリティとマジョリティは、単に少数派と多数派という区分けにすぎない。
そんなの、あるにきまってる。全員同じ意見なんてありえないし、
完全に50:50もないだろう。
だから、マイノリティとマジョリティが存在することが問題なんじゃない。
マジョリティがその価値観をマイノリティに強制することが間違いなんだ。
そういう社会になっていること。そういう制度や仕組みになっていること。
それを崩せないこと。間違ったシステムを直す仕組みがないこと。
それが問題だ。
じゃあどうすればいいのか。
あるべきはどういう形なのか。
弁護士の友人が言った。
「そのシステムを崩す必要なんてないと思う。
得体の知れないものと戦うのは疲れるでしょう。」
その通り。本当に疲れる。疲労困憊。クタクタ。クッタクタ。
でも、崩す必要はあると思う。今、私が、でなくとも、いつか、どうにか。
そう、自分にはコントロールできないことが人生にはたくさんある。
その最たるものかもしれない。国の制度とか社会の在り方なんて。
そんなことで疲弊して、焼け石に水、山火事に立ち向かうハチドリになって、
死んでも、つまらない。そういう考えは、確かにある。
そういう意味では、友人の言葉は正しいのかも。
ところで、ムラ社会日本においても、マイノリティは常にいつの時代も存在し、
完全に淘汰されたことはない。なぜだろう。
お金がなく、結婚もできないのに。
マイノリティは実はそれなりに稼げていて、価値があって、
マイノリティの中で結婚して子孫を残しているからなのか。
それとも、やっぱり子孫を残せず死ぬけど、
マジョリティの中からも後天的にマイノリティが社会には出てくるものなのか。
「怠けアリ」が集団には必ず一定数現れるように。
LGBTの話も似ているところがある。
LGBTの人たちは、先天的なのか、後天的なのか。
基本的に生物的に純粋に自分の子孫を残せないとすると、
そのうちその遺伝子は淘汰されていなくなるのではないか。
でもそうなってない。
ということは、後天的な理由で一定の人がそうなるものなのか、
突発的な突然変異的な理由でそういう人が生まれるのか。
その他の「病気」とされている形質・性質も、生物的な「エラー」なのか。
「エラー」は生まれてこない方がいいのか。排除した方がいいのか。
これはまた、生物的な問題と、社会的な問題が別だから、難しいのだと思う。
生物的には種の繁栄。社会的には個の自由。そのバランス。
何度もいうが、少なくとも、社会的に、ひとつの価値観を強制することは、
唯一間違っている価値観だと思う。
そういう国や組織はいずれ競争に負けて、
バランスのいい国や組織が勝ち残るから、
長期的には適正化するのかな。
とすると、日本はいずれ破綻してアメリカ化して、
その時に今のマイノリティはようやく日の目をみるのかな。
それいつだ。まってられるかな。
いや待つ必要あるのかな。
日本ではマイノリティでも、世界でみたらマジョリティかもしれない。
だったら世界に飛び出せばいい。
そうなのかもしれない。
今は、個人的には、やっぱり、ダイバーシティがあって、
それをうまくまとめられる社会・組織が強いんだと思う。
アメリカ、グーグル。
ひとつの価値観を強制しない。目的を共有して、
マイノリティも含めて、意見をちゃんと戦わせる。
そしてみんなで結論を出していく。
そういう組織が理想だと思う。
日本は全然そうなっていない。
日本は、破綻するまで何もできないんだろうな。
それをぼーっと見ながら、一緒に沈む必要はない。
とっとと他の船に乗り移るか、命綱をつけたうえで早めに船を沈めるかだ。
ダメなものは必ず沈む。それを、敢えて自分が労力をかけて沈めにかかったり、
進路を変えようと挑む必要はないのかもしれない。
自分は自分にコントロールできる、自分のために力を使えばいいのかもしれない。
今のある程度の孤独や不遇は、仕方ない。
鎖国時代の身分制度の底辺の人や、
古代インドのカースト底辺の人や、
ジャングルのナントカ族の青年よりは、
恵まれた環境にいると思う。
彼らよりは、生活環境はいいし、経済力も知恵もあるし、
インターネットで世界とつながってるし、
いくらでもなんとでもしようがあるに違いない。
歴史上、なんともできない本当に辛いマイノリティがきっと多かったんだ。
そう考えると、涙が出てくるし、自分は恵まれた環境で、
なんで文句ばっかり言ってるんだろう、って思えてくる。
きっと、マイノリティには、マイノリティの強みがあるんだと思う。
鋭い視点とか、強烈な想いとか、さまざまな辛い経験を耐え抜いた胆力とか、
本当にいろんなことを考えた思考力・哲学とか、辛かった分本当に理解した愛とか。
それを信じて、伸ばして、活かして、生きていきたい。
同じマイノリティ仲間もたくさんいる。
日本に見切りをつけてオーストラリアに移住した友人。
ホリエモン。LGBTの人たち。在日といわれる人たち。
病気とか障害とかいうレッテルを貼られた人たち。
前科者とかいうレッテルを貼られた人たち。
エルファバ。笑
ウィキッドのエルファバは、マイノリティの代表だと思う。
生まれつき肌が緑色で、みんなに嫌われた。でも強い魔力を持っていた。
オズ(=統治者・マジョリティの代表)に戦いを挑んで、地位とか色々失ったけど、
最後は愛するフィエロと一緒になって、(きっと)幸せに暮らした。
そういう話だ。
「誰が決めたの限界なんて 変えてみせるわこの世の闇を
たとえ全てを失ったとしても 信じた道を進むのよ
誰にも止められない 自由を取り戻すの できるはずよ」
defying gravity(劇団四季ver)
力強い言葉だ。