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もっちーのせかい

エベレスト3D

二子玉川の映画館で、「エベレスト3D」という映画を2Dで観てみた。

なんか宣伝で来年初に邦画でもエベレストやるらしいけど、
流行ってんの?なんなの。

1996年(たぶん)にはじめてエベレストの商業登山をした隊が、
登頂後のベースキャンプへの帰路で大嵐にあい、
みんなバタバタ死んでいった話。
一応、実話に基づいているらしい。

死んだのは、面倒見のいい隊長、
体調悪いのに無理したやつ、
ヘラヘラしてる日本人女性、等。

日本人女性については、
ベースキャンプで、帯同したジャーナリストが
登山隊のみんなに、
「なぜ山に登るのか?」
と質問したとき、
「私は6つのサミットを制してきたから、エベレスト登頂で7つ制覇です」
みたいなことを気味悪い曖昧な笑顔でこたえて、
「答えになってない」
とバッサリ切り捨てられていたキャラ。

そうなんだよなあ、こう見えるんだろうなあ、日本人。
曖昧でヘラヘラしててアンロジカルで臆病で鎖国。
そしてやっぱり死にました、みたいな。
やだなー。

で、なんで山に登るんだろう。
お金かかるし、苦しいし、凍傷になるし、死ぬし、捜索とか遺体収容とか大変だし。
でもやりたい人がいるんだからしょうがない。
それは止められないし、止める必要もないし、止める社会は嫌だ。
でも、家族はたまったもんじゃないし、後処理に他人が金を払うのもいやだ。
勝手にやって勝手に死んでほしい。
それだけだ。
でも家族のことは考えてほしい。

でも、なんで山に登りたいんだろうね。
エベレストなんて。エベレストは世界一高い山。
そこからの景色を見てみたいのか、
世界一の山を制したという称号がほしいのか、
苦しんだり死んだりしたいのか。

何も生み出さない。

スポーツと同じ。
穴掘って埋めるのと同じ。

ゴールを「つくって」、取り組んで、達成する。
ただそれだけ。ゴールに価値があるかどうかは関係ない。

どうしてそんなものに夢中になれるんだろう。
夢中になれるなら、それでいいのだろうか。
迷い、苦しみ、悩み、何もしない人生よりは、
夢中になっている人生の方がいい気がする。
なんか周囲に感動とか、影響も与える気がする。

なぜだろう。

人生に目的はない。ゴールは自分で決めるんだ。
とはよく言う。
じゃあ、ゴールは何でもいいのかな。
エベレスト登頂でも、テロで腐った政治家1000人殺すでも、
自殺でも、大統領になるでも、何でも自由かな。

人を殺す、人に迷惑をかける、人の権利を侵害する、人の人生のゴールを
邪魔する、ってのは、違う気がする。(じゃあ頼まれて殺すのはいいのかな)

人は、動物的な本能と、社会的な知能の両方あって、
その乖離のスピードが加速している気がする。
だから精神的に病む。
本能的には、太陽が昇ったら起きて、運動して、飯食って、
セックスして、日が沈んだら寝る、というのが良しとされているはずだ。
「種」を残すこと、「個」としてなにかを成すというより、
生物全体で繁栄することが目的となってるように見える。遺伝子的には。

でも、社会的なものは違う。
「種」より「個」だし。
死ぬのも自由だし、子孫を残さないのも自由だ。となる。

その乖離。
それがこれから人類の課題になる気がする。
それが生き方を考えるカギになる気がする。

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