何十回も観た同作をまた見返した。
何度見てもおもしろいし、新たな発見と感動がある。
圧巻の戦闘シーンにいつも胸が熱くなる。
自分たちに存亡の危機をもたらすサウロンという共通の敵に、
みんなで一致団結して向かう、きっと人間はそういうのがすごく好きなんだな。
同じような気持ちに、色んな場面で遭遇してきた。
インデペンデンスデイを観たときも、そういう感覚だったな。
エイリアンとの人類の戦い。
アルマゲドンもそうかもしれない。
大地震や、台風みたいな巨大な災害のときも、
正直似たような感覚をおぼえる。
花火大会のときも、ちょっとあるかも。
スポーツ(特に団体競技)なんか、そのまんまだろう。
家族や、会社や、チームや、国が、最も結束するのは、
共通の敵に向かうとき。
そういう気持ちを、統治の手段に使うというのは、よくわかる。
マジョリティはそうなのだ。動物的、本能的なのだ。
そりゃそうだよね。
自分たちの、種の存続を脅かすような相手には、脅威を抱き、
一致して対処する。種にとっては当然の対応だよね。
サウロンは皆殺しが目的のモンスターだから、
一致団結して戦って倒すしかない。
でもさ、人間は違うよね。人類は。この現実世界は。
歴史上、人類は争いを繰り返してきた。
昔は、人類はグローバルな活動はしていなかった。
それぞれの土地に、そこだけで完結するムラ、都市、国家があって、
そこの人にとってはそこのコミュニティがすべてだっただろう。
そういう時は、いきなり攻めてきた異国の人は、
エイリアンに見えたかもしれない。
聞いたこともない言葉を話し、
見たこともないヘンな服装をして、
使ったことのない武器を振りかざして、
肌の色が違ったりする。
何を考えてるのかもわからない。
それは、サウロンと一緒に感じるのかもしれない。
しかも、いきなり攻めてこられたら、
対抗して戦うしかないし、憎しみが生まれる。
そうして、人類は争いを繰り返してきたんじゃないかな。
でも、現代は違う。少なくともそういう時代よりは、
みんな同じ「人間」で、大して考えてることが変わらないな、って
わかってきたし、経済も金融もかなり繋がってきたし、
言葉もお互いにわかるようになった。
相手のことを、だんだん理解してきた。
そう、「知らない」から怖いのであって、
知ってしまえばなんてことはない、そういうことなんじゃないだろうか。
だから、閉鎖的な人や組織は、外部を恐れている。
だから規制やら掟やらで自分たちを守ろうとするし、
攻撃的になって相手を排除しようとする。そう思うのだ。
別に、そういう生き方を否定できない。
ホビットの、エルフの、日本の、そういう閉鎖的な側面を。
でも、もったいないなと思うし、寂しいと思うし、つまらないし、きもい。
争いのもとになるなら、もっとオープンにお互いを理解していった方がいいし、
鎖国なりの専門性を活かすなら、どうしてそういう生き方をしているのか、
そういう生き方の良い面を伝えるなら、もっとコミュニケーションした方がいいし、
やっぱり一人でだまってるのは、良くないと思うんだよな。
ほら、やっぱりまたラスベガスでの想いにつながった。